2023/02/09 | ||
受賞者:中村 祐美子 氏 2022年3月3日法学部長室にて
佐藤 あらためまして、この度は森わさ賞のご受賞、誠におめでとうございます。 佐藤 神戸学院大学の前身である学校法人は100年を超える長い歴史を持っており、この賞は、その創設者である森わさ氏を記念した賞です。この度、第3回の森わさ賞を受賞されての率直なお気持ちをお話しいただけますか。 中村 本当に光栄の一言です。頂けると思ってなかったですし、最初お話をいただいたときに本当に私でいいのかとも思い、若干の迷いもありましたが、非常に光栄なことだなとありがたく受け取めています。 1. 在学当時の思い出佐藤 中村さんは、法学部がポートアイランドに移転する前の有瀬キャンパスで学び、法学部の国際関係法学科を卒業され、大学院修士課程も国際関係法学専攻ということで、本学には6年間在籍されたわけですが、在学当時の印象深い思い出がおありでしたら、お聞かせいただけますか。 中村 実は大学を退学しようと思ったことがありました。ただ、その決意をしたまさにその日に国際交流センターの前を通りかかったら、掲示板に「オースティン・カレッジ・ワシントンDC夏期研修」の参加合格者リストが張り出されていて、その中に自分の名前を見つけたんです。それまで夢にまで見ていたアメリカに行ける機会が目の前に現れたこともあり、「これに参加してから考えよう」と退学の前にアメリカ行きを決意しました。そして、その研修で今でも私の恩師として慕っている先生(谷口弘行教授)との出会いがあり、先生との会話の中で「渡邉さん(中村さんの旧姓)がやりたいと思うことがやれる大学にしてみせるから、もう少しここで頑張ってみないか」というお言葉を頂き、退学を思いとどまりました。 佐藤 中村さんは高校時代から英語を熱心に勉強されていたと伺っています。ところが、神戸学院大学の法学部に入ってはみたものの、法律の勉強と、ご自身の学問への学習のモティベーションがかみ合わず、退学を考えるようになった。そんなときに、学内での海外派遣の掲示からアメリカへの研修へ、そして、その後、アメリカへ留学へと、どんどんご自身の学修の道が広がったのですね。 中村 そうなんです。本当に偶然ですね。アメリカの研修に行き、提携校のテキサス州のオースティン・カレッジの先生(シェルトン・ウィリアム氏)との出会いもあり、授業形態が大講義形式ではなく少人数制で、「勉強するならここだ」と留学先はアメリカに決めました。 佐藤 アメリカにまたどうしても行きたいと考えられたのは、最初の研修の際に「また自分のところに来い」と引き受けてくださったアメリカの先生がいらしたと聞きました。それに加えて、インタラクティブな、学生同士のディスカッションやディベートがメインの授業を受けたかったということですね。 中村 はい。何よりも、そのほうが英語力を高められると思いました。一年しか滞在できないので、その機会を最大限に活かす方法を考えてみると、大講義室で何百人の中で、ただ英語を聞いて学ぶというのは私にとっては成長の程度は低いと感じましたし、なるべく高いハードルのほうを選んだんです。はっきりとした結果を得たかったからかもしれません。 佐藤 アメリカで学んだ分野は、英語でのコミュニケーションを通じて、その能力も高めつつではありますが、主に政治学ということよろしいでしょうか。 中村 はい。具体的にはアメリカの外交政策です。ただ、アメリカの外交政策については、当時の自分の理解の中では、教育内容がとても偏っている印象を受けてしまい、次第にテキストも読みたくなくなりました。それが教育の目的かもしれませんし、仕方がないことかもしれませんが。それで、担任教授――シェリー――に、「私はこれは読めない、受け付けられないことが多い」と伝えたんです。そうしたら、「君は何をしにアメリカに来ているんだ?」と言われてしまって。「アメリカの外交政策を勉強しに来ているんだったら、これを読みなさい」と言われました。それ以降、頑張って読みましたが、考えさせられるところ、思うところが沢山ある授業だったのは確かですね。 佐藤 そのように、だいぶ偏りがあるテキストでも、それを自覚しながら客観的に受容する学生と、「アメリカの外交政策はこれしかないし、これが正義だ」と鵜吞みにする学生との、二つのタイプがいるのかなと想像しますが、実際の授業でディスカッションやディベートに取り組んだ中での反応は、割合としてどのようなものでしたか。 中村 短期の留学生はそもそも私を含め2名ぐらいしかなかったのですが、アメリカ人やアメリカ滞在が長い留学生の中には、アメリカの外交政策に疑問を投げかける学生もいました。大半の学生はアメリカ人だったのですが、心の底から「俺たちナンバーワン」と言い放ってしまうような人たちもいて、授業でもそのような雰囲気を感じる時間が多くありました。ある意味、すごいことではありますね。 佐藤 冷戦が終焉して、情報と経済のグローバリゼーションがどんどん加速していくタイミングです。もう、バブル経済期のような「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ではなく、「アメリカ・アズ・ナンバーワン」というような。 中村 それもあるのかもしれません。とはいえ、そもそも日本の位置すらよくわかってない学生もいました。「中国にある」と言われたときはちょっと驚きましたが、それくらい日本の存在感がないということにかなりショックを受けたのを覚えています。 佐藤 エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が80年代に一世を風靡しましたが、それすらも一部の専門家たちの認識であって、アメリカの一般国民や学生にとっては「ジャパン? どこかにそういえばあったけど、中国の一部かな、アジアの小国だよね」ぐらいの認識が現実だったんですね。そういった環境で、リアルなアメリカの若者たちや大学の教育方針などと嫌でも肌で接しながら勉強されたのち、本学の大学院修士課程に進まれて、修士論文をお書きになられましたが、そのときのテーマもアメリカ外交政策でしたか。 中村 大学院の修士論文はラオスの行政改革について書きました。アメリカではなくラオスになったのは、色々な経緯がありました。 佐藤 実際、ラオスに行かれてみてどうでしたか。 中村 正直怖かったですね。初めての社会主義国だったのもあるんですが、社会主義国はこんなにも分からないことだらけなんだという、底知れぬ恐ろしさを感じました。政府の方と話しても見えないところ、わからないところが沢山あって……。 佐藤 ただ言論の自由がないというだけでなく、情報として表に出せることと出せないことの統制というのが……。 中村 ありましたね。 佐藤 それを直観的に感じられたんですね。ともあれ、ラオスに赴かれ、そこでフィールドワークをされて学位論文に。 中村 そうですね。インターンシップのうち3か月間は、JICAの所員さながらの仕事をさせていただきました。ただ、私の研究テーマの関係するミーティングのときや時間が空いたときは、調査することを許されていたので、その機会にあわせてアポを取り、行政改革の関係者や担当者の方にインタビューさせていただいたり、国際会議に一緒に参加させてもらったり、なるべく繋がりを作れるよう、情報を取れるよう、当時の所長や職員の方々からも沢山の配慮をいただきました。 2. ラオスに就職佐藤 ラオスの行政改革をテーマに修士号を取られましたが、もともとアカデミックな道に進むお考えはまったくなくて、すぐ海外の現場に出て行かれたんですよね。修士課程を修了されて、JICAのラオス事務所に配属されています。 中村 ラオスでのインターンでお世話になった当時の事務所の所長が、私がちょうど大学院を卒業するタイミングで「お願いしたい仕事がある。ラオスに来ないか」とお声をかけてくださったこともあり、大学院卒業直後からJICAラオス事務所にお世話になりました。 佐藤 ラオスでのお仕事は1年半くらいでしたか。 中村 仕事はポジションを変えつつで、JICAのラオス事務所では1年ぐらいだったんですが、その後2年は司法省付きの専門家としての業務で滞在していたので、インターンを含めばトータルで3年半ぐらいでしょうか。 3. 今だから言えること佐藤 履歴書を拝見して驚愕したのですが、ラオス、そしてアジアに限らず、世界中いたるとこへご出張されて、それらお仕事の内容も本当に様々なんですけれども、ご所属は変わられても JICA 関連のお仕事をされています。そうしたお仕事を振り返られて、その経験を通じて感じて来られたことや、今だから整理してお話しいただけることなどありましたら、教えていただければ。 中村 JICAの仕事を通じて一貫して感じてきたこととは、やっぱり国づくりは人づくりであるということです。道路や橋梁、施設建設への支援も欠かせませんが、同様に「人づくり」も将来の国を作っていくうえではとても重要な活動だと感じています。 佐藤 当事者の一員になるという姿勢ですね。国づくりは人づくりであるというのは、政治思想史を勉強している立場からも、まさにおっしゃる通りと思います。また当事者として、ラオスならラオスという国を自分も担うんだという覚悟、気概といいますか、そうした心構えが必要になるということでしょうか。 中村 短期的にはそうかと思います。そして、なくてはならないことだと思います。自分が国際協力の仕事を行う目的について、実はここ20年ほど常に考えているのですが、若い頃は「(自分が)途上国のために何かをやりたいからやる」という自分の感情や願望が中心であったと感じています。それがある程度長く働き、色々な国との関わりが増えてくると、「何のためにこれをやっているのか」という問いが生まれてくるんです――もちろん相手国のため、そして日本の国益のためでもあるんですが――自分がやっていることに対する大義名分が欲しくなるんですよね。日本の国内でもさまざまに社会問題や大変な状況があるのに、それでもなぜ私は外国に行くんだろう、と思うことも少なくありませんでした。 佐藤 他国への協力や支援と言っても、10年や20年どころではない長い目で見たときに、日本の将来の人々のためにもなるし、日本やラオスという個別の国の利益を超えて、もっとより広い人々の利益になることに繋がっていくはずだという信念ということでしょうか。 中村 そう信じています。そういう信念がないと、自分のやっていることに対して迷いが生じてしまいそうです。 佐藤 最近の話題で言うと、岸田首相がウクライナ難民の受け入れを表明しました。しかし、これにどれくらいの公金が投入されるのかという考えもあるわけです。その前にコロナ支援など、手を付けるべきところがあるのではと、普通は考えてしまう。それらは政治哲学的な問いにもなるのですが、哲学あるいは思考するということはとても重要である一方、それだけでは物事は動かない。実際には世界中のいたるところ、ありとあらゆる現場で問題が生じていて、誰かがそれへの対応を担わなければいけない。中村さんの場合、後者のほうに常に軸を置きながらも、その対応に埋没せずに、自分は何をやっているのか、そしてこれが何に繋がっていくのかということを常に自問自答してこられたんですね。 中村 そうですね、最初は本当に「(自分が)やりたい」という意欲と情熱だけでしたので、最初からとは言えませんが。 佐藤 災害ボランティアなどにも当てはまると思うのですが、困っている人がいたら瞬発力でパッと助けて問題解決となれたら、それに越したことはありません。しかし、断続的かつ持続的で長期にわたる支援となってくると、先ほどからお話しくださっているように、けっして他人事では済ませられず、支援する自分も現地で苦しむ当事者になるという姿勢が求められるのでしょう。中村さんのお仕事の海外協力の場合、そこから、日本人である自分にとって支援とは何なのか、それは現在、および将来の日本にどう繋がっていくのかという問いに向き合わざるを得なくなった結果、将来世代といういまだ生まれざる存在や、個別の国を超えた利益のためという信念に結びついたということでしょうか。 中村 そうですね。くわえて、やはり人材の「適材適所」の配置が大切だと思っています。皆がみな海外協力に携わる必要はないと思います。たとえば法律に長けている人は法律をやればいいし、経済やビジネスは、その方面に長けている人に任せたらいい。海外への支援や協力の分野の仕事というのは、向いているかどうか、得意かどうか、もしかしたらはじめは分からないかもしれませんが、海外に出て働きたいと思いそのための立場や機会を与えられている我々は、そこに活躍できる場があり、求められているのも事実だと思うので、自分たちに与えられた役割をしっかりと全うしていきたいという思いがあります。 佐藤 すべてがうまくマッチするわけではないにしても、できるかぎり適材適所で役割分担して調整していくというのは、一人ひとりの多様性を尊重して、それを活かしていくことなのではないかと、僕も日頃から考えております。それぞれにやりたいこと、やるべきこと、できることは多種多様ですから、それが固定されてはまずいと思います。一律にみんなでこれをこうしましょうというような、一つの物差しではなく、臨機応変に柔軟に、多様な資質や意欲にマッチした場を分担することは、難しいことではありますが、そちらが望ましい。中村さんは、自身が求められる場で、求められるお仕事に携わってこられたということでしょうか。 中村 そうですね、はい。 4. 過去の自分へアドバイスするとしたら……?佐藤 ここまでお話を伺ってきますと、中村さんは非常に充実した学生生活を送られたという印象を受けたのですが、現在のご自身の立場から、過去のご自身――入学当初の中村さん、退学が頭を過ったときもあり、それを思いとどまるきっかけと出会いがあり、その過程で色々とお気持ちの変遷もあった学生時代の中村さんに、何かしら助言なりアドバイスなり、一声かけてあげられるとしたら、どんなことをお伝えしたいですか。 中村 やってきたことにあまり後悔をしていないので、なんとも言い難い感じではありますが(笑)、学生時代は悩み多き時間を過ごしていました。一期生で先輩はいない状況でしたし、歩んでいく先の道もない状態でした。神戸学院大学の国際関係法学科と言っても、「何、神戸大学?」とか「神戸女学院?」と、なかなか他の方からわかってもらえない。「違うんです」と言い返すだけしかできず、最後はもう疲れて、お茶を濁すかたちで存在感を示せない時期があったり、大学の名前で勝負できない時期があったりしたのも事実で、大学院の頃は悩み続けました。ただ、今こうして振り返り、当時の自分にひと言声をかけてあげられるとしたら、「自分の力がどこで活かせて、何をやれるかだよ」と言ってあげたいです。「そのためにも、まず一歩踏み出してやれることをやってみたほうがいい。」「悩む時間、悩むエネルギーがあるなら、それらをやれることに費やしたほうがいい」とアドバイスすると思います。 佐藤 すべてが計画通りにうまくはいかない。思わぬものが出てきても、それは学びとして受けとめなさい、と。 中村 はい。それに尽きると思います。 5. 在学生へのアドバイス佐藤 これはそのまま、現在の本学の学生たちへのアドバイスでもあると思いながらお聞きしました。さらに、本学の在学生、中村さんの後輩たちへのアドバイスとして、何か付け加えるとしたら、いかがでしょうか。 中村 そうですね。これも、メンタル・コーチングやメンタル・トレーニングで伝えていることなんですが、人ってワクワクすることしか続かないと思っています。自分が心躍るようなことしか続けられない。何かしなければと義務のように思ってやっていてることは継続しづらい。だから、どうすれば自分が取り組んでいることに対してワクワクできるかを考えてほしいですね。 佐藤 選択肢が複数ある場合には、ワクワク感を持てるものを選べばいいんでしょうけども、選択肢がひとつしかない、けどなんかなあ、という場合でも、捉え方をちょっと変えて、どうやって自分の対象としてワクワクできるか、自分の中での受けとめ方や位置づけ方を変えられるか、ということですね。 中村 そうだと思っています。あとは、わからなければ聞けばいい、頼れる人に頼ってよいということですね。 佐藤 日本での日常生活では――あくまでも表面上であって、実際は、社会生活の陰の部分で、私たちの生は、見えざる人々の労働や協力に依存しているわけですが――自己完結できてしまいますし、それを求められてもいますよね。その結果、頼り下手といいますか、上手に頼れなくなる。学生たちも、本当は頼っていいところで我慢したりとか、逆に変なところで頼ってきたりして、いやいや、そこは自分でやろうよということが、教員の立場としては多いのですが、そういったスキル、判断力とコミュニケーション能力をもっと育まないといけないのが実情です。甘えていいところや頼っていいところと、自分でしっかりやっていくべきところを、なかなかうまく自分の中で整理できない世代になってきているという印象です。 中村 内省できる能力と、コミュニケーション能力の両面が育まれるといいですよね。 佐藤 いまどきはGoogleで調べれば何でも答えが出てきてしまいますし、スマートフォンを持っていれば友達から、あるいはメディアから次々に情報が入ってきて、内省する精神的な習慣を身につけられないまま歳をとってしまう。僕自身もそうなんですけど、これはまずいな、と常日頃から感じています。必要な情報を探して摂取して探取り込んで考えるのだけれども、常に新たな情報の更新に駆けずり回っている。それに奔走することで、じっくり内省することが身につかなかったり、そうした習慣が失われたりしつつあるのかもしれません。 中村 そうですね。在学中に大学を辞めようと考えていたときには、ここでは何もできないとか、この大学にはあれがない、これがないなどと、わたしの意識や関心のベクトルが自分の外にしか向いていませんでした。それが、恩師からの一言がきっかけとなり、「あっ、違う違う。自分なんだ」と気づかされた瞬間がありました。自分は何がしたいのか、何ができるのか、それが重要なんだと自覚しました。それって内省だと思うんですが、他者の働きかけがあったほうが内省にも取り組みやすい。そういう意味で、コーチング(人との対話)はとても効果的なので、正式なかたちでなくとも、そういう関わり合いができる関係性を、教育現場のどこかで作れたらいいですよね。 佐藤 あるべき内省というのは、自分の中に沈潜していくことですけど、それは同時に、常に他者からのアドバイスだったり、他者との意見交換だったり、自分以外の誰かとの協力関係とは切り離せないものですね。 中村 そうですね。とはいえ、内省にとって、ときにはアドバイスが邪魔になることもありますので注意も必要ですよね。アドバイスばかりに耳を傾けてしまうと、他人の意見や考えに影響され過ぎてしまうこともあるので。内省の内容には干渉しない「言葉がけ」をしてくれる相手ができれば、自分の思考もすごくクリアになりますし、やりたいこと、やるべきことも、自分自身で皆さんが見つけられると思います。 佐藤 「聞く耳を持っている」と自称するリーダーが日本では登場しました。しかし、あまり色々なことを聞きすぎているせいなのでしょうか、「この人、本当に自分のやりたいことはあるのかな」と思ってしまいます。 中村 そうですね。「きく」には、門構えに耳の「聞く」と、目と耳と心で「聴く」がありますが、「聴く」の場合、耳だけでなく、目と心とで相手の話を十分に聴くという意味になりますね。身体ごと全身で、その人の話を聴いてあげるということなので、「聞く」とはまったく意味や質が違ってくるのではないかと思います。 佐藤 自信や自己肯定感は、「ちょい越え」を積み重ねていくことで、気づけば、「あれ、できている、私はやれている、自分はいけるんだ」というかたちで獲得できるということですね。 中村 はい。実は、自信のなさにも色々なパターンがあるで、自分はどのパターンに当てはまっているのかさえ分かれば、攻略法も自ずと見つけられます。そのためにも内省がすごく大事になってくるんですよね。 佐藤 それは自分にしかできないものでしょうか。 中村 はい、自分でしかできないと思います。 佐藤 他者からのアドバイスとか、指示ではない。 中村 自分でわかるしかないんですよね。 6. 直近の関心や仕事の様子佐藤 「自覚」ということに尽きるわけですね。最後に、直近のご関心やお仕事のご様子などをお話いただけるでしょうか。 中村 海外でのコンサルタント業務は引き続きアフリカやアジアで短期・長期の業務の機会をいただいていて、これからも海外に出られる限り、続けていきたいと思っています。また、海外の仕事に加えて、最近では国内で、メンタルコーチとして心理学や大脳生理学の知見を使いながら、学生さんから大人の方々まで幅広い層を対象に、コーチングやメンタルトレーングを提供しています。自己肯定感を高めるための手法として、コンサルティング、コーチング、トレーニング、それぞれメリット・デメリットがあるので、それぞれの良いところを活かしながら、皆さんの一歩前進を後押しさせていただいております。 佐藤 本日は非常に貴重なお話を、本当にありがとうございました。中村さんのますますのご活躍を祈念しています。
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