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学生インタヴュー:佐藤一進先生(政治思想史)

法学部1年生有志が佐藤一進先生〔教授・政治思想史〕にインタヴューを行い、これまでの研究と現在の関心を伺いました。

――佐藤先生は京都大学の経済学部を卒業後、同大学の大学院人間・環境学研究科に進まれたのですが、まずはその経緯を伺えますでしょうか。

 僕は一浪しましたが、現役の時には東京大学の文学部を志望していました。もともと愛読していた夏目漱石の研究を、三四郎池や漱石ゆかりの本郷キャンパスでやりたいなどといった、淡い夢のような志望動機です。しかし受験に失敗し、浪人生活を送ることになったのですが、地元の岩手にいるよりも、思い切って東京で受験勉強しなさいという親の勧めがあって、大学に合格してもいないのに高校卒業と同時に東京での生活を始めることになりました。
 浪人生活の日々で延長戦としての受験勉強に明け暮れるかたわら、漱石や近代文学への関心にくわえて、政治学や経済学への関心も膨らんできました。高校の同級生たちはもう大学生になっていますから、息抜きがてらに浪人生の自分も大学生の気分を味わいたいと思い、せっかく東京に出てきているわけなので、神田の古書店街やお茶の水の大型書店に足を運んでいました。そこでまずこの本に出会ったのです〔聞き手に本を提示する〕。西部邁という先生の『大衆の病理』(日本放送出版協会、1987年)です。それまで、物心がついて以来の1980年代から当時の90年代後半に至る、日本の世の中、政治や社会に対して、何か腑に落ちないといいますか、世の中の風潮の表層的な軽さに対する違和感や、偽善的な胡散臭さに対する反感などを抱え続けていたのですが、そうした自分の感覚や認識は何に起因しているのか、また、その現状はどのようなものなのかということについて、見事に分析している本であると思いました。この本で書かれていることが唯一の正解だと、今では思いませんが、少なくとも当時の自分にとっては、まさに目から鱗が落ちるような体験でした。そこから、受験勉強の合間に西部先生の本を次々に読み、西部先生が当時発刊されていた『発言者』という月刊オピニオン誌も購読しました。
 この月刊誌を読みながら、いつも興味を惹かれる評論の執筆者がいることに気づきました。それが佐伯啓思先生でした。そこで、『大衆の病理』と奇しくも同じNHKブックスというシリーズから出ていた佐伯先生の『現代民主主義の病理』(日本放送出版協会、1997年)をまず読んでみたところ、これまたとても鮮やかな分析だと思い、とても腑に落ちました。西部先生と佐伯先生の本を読んで、大学では文学よりも社会科学を専攻してみたいと思うようになりました。そこで法学部も視野に入れ始めましたが、西部先生と佐伯先生は、ご出身が東京大学の経済学部なんですね。しかし、お二人とも狭い専門性を批判的に乗り越えようとするスタンスを大切にしておられました。経済学の素養を基礎にしながら、哲学・政治学・歴史学・社会学など、領域横断的に、あらゆる学問的知見を駆使して、現代の日本社会やグローバルな現代文明を鮮やかに、かつ鋭く分析し、批判することができる。それではまずは自分も経済学の勉強から始めてみようと思い、経済学部に志望を絞りました。
 受験の志望変更には、予備校の先生のアドヴァイスもありました。小論文の白井恵子先生という方でしたが、浪人の秋ぐらいに、「あなたには今の志望校ではなく、京都のほうが合っているんじゃないか」と言われまして。なぜそう思われるのか、理由はお伺いしませんでしたが、そのお言葉を真に受けて、京都大学へ志望変更しました。それまで京都大学の受験はまったく考えてみたこともなかったのですが。それにくわえて、上述の西部先生はすでに東大を退職されていた(それも定年前に、ある事件を機に抗議の辞職をされていた)のに対して、佐伯先生は京都大学にて現役で教鞭を取られていた。そうした流れから、京大の経済学部を受験し、入学することとなりました。 

――ところが佐伯先生は経済学部の教官ではなかった。

 はい、よく見ると、本の奥付のところに「京都大学大学院人間・環境学研究科教授」と書かれているのですが、ともかく京大の経済に行けば教えてもらえるんだろうというくらいの見当でした。京大には、昔の教養部(前身は旧制三高)を改組して作られた総合人間学部がありまして、文系や理系も含めて、ありとあらゆる専門が混在しているのですが、この学部の上にある大学院が人間・環境学研究科です。実際、経済学部生でありながらも、全学部生に開かれている演習形式の佐伯先生の授業や講義を通じて、佐伯先生の手ほどきをいただきました。また、佐伯先生の指導を受ける大学院生の方々とも日常的にお付き合いをいただいて、研究や議論の進め方や論文執筆の方法はもちろん、お酒を嗜んでの社交の仕方まで、大変ありがたいご指導をうける、今思えばもはやありえないほどの貴重な日々でした。
 もちろん、経済学部でもゼミに所属していましたが、そこでもやはりオーソドックスな経済学(ミクロやマクロといった経済理論など)というよりも、経済学が成立する前後の時代の西欧の思想状況に強い興味を抱き、それに相当するのが社会思想史という学問領域でした。いまでは多くの大学の経済学部のカリキュラムから消滅しつつあるようですが、かつての経済学部において、社会思想史は、近代経済学とマルクス経済学の間の違いや対立はあれど、「科学」としての経済学を支える基礎に位置付けられており、歴史学と哲学を柱に、政治思想や法思想も含み込んだ総合的な学問でした。そこに魅力を感じ、経済学部では社会思想史のゼミに所属したのです。

――具体的にはどなたのゼミだったのでしょうか。

 田中秀夫先生という、18世紀スコットランド啓蒙思想の研究者のゼミでした。田中先生はトマス・ホッブズ研究からスタートされて、デイヴィッド・ヒュームやアダム・スミスを経由して、最終的にはスミスの弟子のジョン・ミラーという思想家を研究されていました。また、当時はまだ日本語訳がないものの、思想史研究者ならば誰もが知る重要な研究書『ザ・マキァヴェッリアン・モーメント』の著者である、英国政治思想史研究の大家ジョン・G・A・ポーコックの業績の翻訳を手がけ、日本へ本格的に紹介したのも田中先生でした。佐伯先生や、佐伯研究室の院生の方々も、ポーコックとその著作に大変興味をお持ちでしたので、ますます経済学部のゼミでの勉強にも身が入りました。
 大学院受験に際しては、そのまま経済学研究科に進むことも検討してはみたものの、やはり浪人時代からの初志と憧憬を大切にしようと思い、佐伯先生のおられる人間・環境学研究科を選んだわけです。

――これまで伺っていますと、もう研究者になると決めていたようですね。

 そうですね。浪人時代から自分なりに勉強しながら、すでに大学での研究や講義に憧れを抱いていましたし、文献を読み込み、論文や書籍というかたちで発表していくこと人も憧れました。すでにその頃から、大学院進学と研究者の道への意志は、ほぼ固まっていたかなと思います。迷いはほとんどありませんでしたね。

――博士論文は『保守のアポリアを超えて――共和主義の精神とその変奏』(NTT出版、2014年)という書籍にまとめられていますが、大学院に進まれた際のテーマを伺えればと思います。

 保守主義という一つの政治思想における理論体系を、まず歴史学的に納得のいくかたちで理解したうえで、それを現代において理論的に考え直していくにはどうすればよいのか、ということが根本的な問題意識でした。「保守」という思想について、僕たちが生きる現代においての可能性への関心、それも実践的というよりは、そうした実践の支柱となる理論的な関心がありつつも、まずは、保守主義が生み出された西欧近代の思想状況についての歴史学的な理解が必要であろうという見通しを持っていました。簡単にいえば、保守主義という思想に関する歴史と理論を架橋するような研究ということになるでしょうか。
 リベラリズムや社会主義などといった他の政治思想とは異なり、保守主義には、明確な生年月日があります。それが、エドマンド・バークによるフランス革命の批判的分析の書、『フランス革命の省察』が公刊された日ということになります。バークは18世紀のアイルランド出身の思想家で、『崇高と美の観念の起原』――この本はI・カントの美学にも影響を与えた近代美学上の重要著作です――という美学書の発表で当時の文壇にデビューした文人でした。そののちにイングランド政界へと転じ、下院議員を務めた実務家でもあります。そのバークの『省察』に近代保守主義は始まる。これが長らくの定説でした(ただし、近年の厳密さを増す一方の思想史研究の世界では、こうしたバーク像は後代の作り上げた神話、つまり虚像として、徐々に否定されつつあるのですが)。ならば、保守主義について研究するにはバークの『省察』をきちんと読んでみよう。そのうえで、これまでには切り口と解釈で、バークの時代に成立した思想というだけでなく、21世紀の今日もなお重要性を失わない思想として、つまり、現代の僕たちに欠けているものは何なのかを照らし出してくれる、前近代からの持続性を帯びた思想としてのポテンシャルを提示することができるし、そうすべきであると考えて、卒業論文、修士論文、そして博士論文と継続しながら、徐々に発展させる形で取り組んできました。卒論の段階からの一貫した問いは、「保守」の理念とはいったい何だろう、ということです。
 理念とは観念であり、アイデア、プラトン的に言えばまさにイデアです。すなわち、基本的には現実を超越しています。それゆえに、つねに、いつも、というわけではないものの、イデアとしての理念は、現実や事実とは必ずしも一致しません。極端に言えば、頭の中でだけ思い描かれた妄想や幻想といったものも、アイデアの一つです。現実や事実とはたえずズレている。むしろ現実から出発しながらも、その出発点に背を向けた方向にあるのが理念なのですから、現実(実際)と理念の関係は、現実と理想の関係と言ってもいいでしょう。
 そうした理念について、保守主義はきわめて懐疑的であり、それを掲げたり携えたりすることのない思想であるという理解が、たいへん長きにわたって常識とされてきました。たとえば、人権をはじめ、自由、平等、人民主権などの理念を掲げ、それを急進的に実現しようとしたフランス革命に対して、それらの理念はいずれも結構なものではあるが、18世紀末のヨーロッパ社会の現実に照らし合わせると、あまりにもかけ離れた空理空論ではないか、とブレーキをかけること。長きにわたる歴史の経過の結果として現在の国家も法律も社会もあるのだとすれば、それらに不都合があるからと全面的に破壊して、真っ白な更地にしたところに新しく理想的な国家と法律と社会を作り出そうとするのは、現在に対する暴力と暴挙であるだけでなく、未来に対しても無秩序しかもたらさないのではないか。これが保守主義の基本であると理解されてきたわけです。僕もそのことは否定しません。人間は慣習の産物であるだけでなく、慣習を共有することで暗黙理にも円滑に共存し合える社会的動物でもある、とする人間観と社会観が保守主義の基本です。法律の効力や政治権力であれ、貨幣であれ、さらには人間的共存の最も根本的なツールである言語でさえ、そのベースとしてつねに慣習を不可欠とします。
 しかしながら、慣習に重きを置き、理念を懐疑するのが保守主義であるという命題が、あまりにも強固となりました。その結果、保守主義に理念などないし、必要もないという共通了解のもと、理念への意識は消滅してしまいます。かりにも保守主義は「主義」つまり「イズム」であるとすれば、それは一定の思想的な体系性を備えているはずです。そうした体系性の要となるものが理念であるとすれば、理念を欠いた保守主義はもはや主義ではなく、ヘタをすると「思想」ですらないという可能性があります。とすれば、思想としての保守主義は、「お前はもう死んでいる」と言われても仕方がありません。長きにわたる古き慣習、そして伝統を大切にするべきであることはもちろんですが、ただ闇雲に「ずっと昔からのしきたりだから」とその形式や手続きに執着しつづけることは、むしろ、慣習や伝統の窒息につながってしまうのではないか。生きていると思われていた伝統が、実はすでに死んでいて、そこで代々守られてきたのは生命なき干からびたミイラだった、ということになってしまうのではないか。そんな疑問や危機意識が生じてきました。僕たちは、何を、何のために、そしてどのようにして、保守すべきなのでしょうか。そうした問いに応答することができるのは思想であり、それらの「何」を問う思想の努力において見出されるものこそが、理念なのではないでしょうか。もちろん、理念である以上は、ある程度まで抽象的なものになりますし、多かれ少なかれ現実との不一致も生じることでしょう。しかし、その理念は時間と世代を超えてきた実践的な営みに基づいて、言葉によって表現されることで抽象されたものである以上、今ある現在とのつながりを完全に失った空理空論というものでもないでしょう。ここでいう理念は、道標のようなものであり、北極星のようなものともいえるかもしれません。北極星は地球から遥か彼方の宇宙空間にあり、そこへ行くことなどはできませんが、夜の天空においてほぼ不動であるがゆえに、長らく船乗りたちの拠り所となってきたわけですから。
 そのような意味での保守主義の理念を、バークの思想、バークが書き残したもののなかに解釈することができるのではないか。こう考えながら研究してきました。

――先ほど経済学部に所属されていたときに田中秀夫先生のゼミにおられたと伺いましたが、田中先生は「シヴィック・ヒューマニズム」にも着目されていますよね。佐藤先生のご著書のサブタイトルは「共和主義の精神」ということで、先ほどお話のあった保守の理念というのは共和主義に連なるのだという位置づけがされていますが、着想に至った経緯をお聞かせください。

 まずは学部生時代、経済学部の田中秀夫先生のゼミで勉強していく中で、先ほどもふれたJ・G・A・ポーコックの『ザ・マキァヴェッリアン・モーメント』(以下MM)という大著を読み込んだ経験が基礎となりました。これは壮大な作品で、古代ギリシャのアリストテレスから共和政ローマを経由して、ルネッサンス期に、古代ギリシャの都市国家(ポリス)の自治的な政治形態と、それを支える政治主体としての有徳な市民が規範として再評価され、近代政治思想の一つの重要な軸に据えられることになる思想の歴史を叙述するものです。アリストテレス的な共通善、すなわち公共の利益に資する市民の徳(シヴィック・ヴァーチュー)がポリス、すなわち共和国(リパブリック)に安定性と永続性を与える。こうした価値観(人間観と国家観、そして歴史観)の萌芽が古代ギリシャ・ローマに誕生し、ルネッサンス期イタリア、とりわけフィレンツェのニッコロ・マキアヴェッリにおいて甦り、マキァヴェッリをはじめとするルネサンス・ヒューマニストの著作がヨーロッパで広く読まれる経緯のなかで、政治的混乱と革命のさなかにあった17世紀のイギリスにまで伝播する。さらに18世紀になると、イギリス植民地であった北アメリカにまで飛び火する。つまり、近代のイギリスの立憲主義や、アメリカの独立宣言、さらにはアメリカ合衆国における連邦制の形成に至るまで、西洋近代の政治事象の多くは、ルネサンスはおろか古代ギリシャ・ローマにまで遡るような古い遺産に原動力を与えられている。いいかえると、近代的なものと古代的なものはトンネルのように通じている。このことを示したのがポーコックのMMでした。
 そのポーコックが強い関心を抱いて扱ってきた思想家の一人が、まさに僕が研究しようとしていたバークでした。また、MMにおいてもバークは重要な位置づけがなされていました。簡単に言ってしまうと、拙著の(『保守のアポリアを超えて――共和主義の精神とその変奏』)の副題に掲げた「共和主義(リパブリカニズム)」という、古代ギリシャ以来の政治思想のバリエーションとして解釈できる思想と言説を、バークは紡ぎ出していたのではないか。このようなポーコックの示唆を受けて、それをさらに掘り下げていくことを試みたのが拙著です。O・クロムウェルによる革命政府の一時期を例外として、立憲君主制を長らく取り続けてきたイギリスの国制(constitution)を正当化する思想が、共和主義(共和国ないし共和政を政治形態の規範とする思想)であるとは、今日の一般的な意味では言い難いのですが、逆に共和主義――ポーコックは「シヴィック・ヒューマニズム」とも言い換えます。くどくなってしまうのですが、噛み砕くと、「有徳な市民による政治実践を説き、それを支える人文主義(古典的教養)」ということになるでしょうか――の思想伝統がなければ、イギリス保守主義なるものも、これまで理解されてきたような形では生まれなかったであろうということを論証しようとしたのが拙著です。
 「共和国」というと、世襲君主、すなわち血統によって継承順位が定められているような君主が不在の国家体制であると、今日の政治学では理解されています。それゆえ、君主国と共和国は対概念であると見なされてきました。しかし、思想史的にたどっていくと、決してそんなことはありません。とりわけイギリスにおいては、「君主のいる共和国」が16世紀ぐらいから議論されていて、リパブリック(イギリスでは同じ意味内容ですが「コモンウェルス」という言葉のほうが主に使われました)とは、君主のいるいないと関係なく、公共の利益を体現する国家はいかにあるべきか、そもそも国家の存在理由は何か、さらに、国家を支える政治主体が身につけるべき資質とは何か、あるいはリパブリックにおける法はどうあるべきなのかといったテーマが、古典古代のギリシャ・ローマ、そしてルネサンスの様々な思想家たちの作品を読みながら、君主のいる国家体制の下で議論された。実は、そうした議論と言説が18世紀イギリスにおける立憲君主制を正当化していく役割を担うことにもなります。したがって、思想史的な知見によれば、君主の不在という条件が「共和国」なるものの実質であるとはいえないのです。
 エドマンド・バークは、イギリスの君主制はおろか、フランス革命で打倒されてしまったブルボン王朝も擁護するわけです。フランスの君主制は打倒されるべきではなかった。なぜなら、ルイ16世治下での穏健な改革、すなわち立憲主義や議会制の確立は可能であったからだ。そうしたフランスの現体制(君主政体)と法、そして慣習を基礎とする改革こそが必要だったのにと、バークは厳しく批判するんです。こういうバークの思想は、「保守するための改革」を唱えるものと理解されてきました。現状は改革されなければならないが、それは保守するためである、と。こうした理解は誤りではありません。しかし、共和国は君主の排除のうえで成立すると理解し、君主制と共和国を全面的に排他的な関係ととらえてしまうと、こうしたバークの議論は反共和国的なものとなりますが、それでは見失われてしまう要素に光を当てることになったのが、ポーコックのMMであり、そこにおいて鮮やかに後づけられたシヴィック・ヒューマニズムの思想伝統と、それを軸に転回する言説のダイナミズムです。

――保守主義は主義であって理念が必要だということなのですが、日本では保守主義は主義ではないということをいう傾向がありました。

 保守とは、自由主義や社会主義などの近代的イデオロギーとは違って、イデオロギーにありがちな硬直を免れており、もっと柔軟なもので、もっと日常の我々に身近なものとしての「態度」であるという主張ですね。たしかに、けっしてイデオロギーになってはならないと、西部邁先生以前の日本の論壇の保守派を自認する人たちは論じていました。ついでに言うと、社会科学者として初めて保守を正面から論じたのが西部邁先生です。それ以前の日本の論壇における右派と左派、保守とリベラル、あるいは保守と革新という区分けにおいて、保守は主に小林秀雄や福田恆存を典型とするように、文芸批評家などの文学者が担っていました。彼らは、保守をイデオロギーやイズムにしてはならず、保守とはあくまでも態度であり、日常の振る舞いにおける個人的な心構えであると説いています。というのも、イデオロギーやイズムになると抽象的なものになってしまって、それは、「いま、ここにある具体的な現実」から乖離してしまうと危惧されたからです。これに対して、西部先生はそういう先行の保守論客たちをターゲットとして意識しながら、「いや、イズムじゃなきゃいかん」と言い切ったわけです。僕はそれをうけて、ではイズムとしての保守の理念とは一体何だろうと考えました。そこから、ヨーロッパ思想史に即して考えてみました。18世紀イギリスで誕生し、そこから後代に流れる保守主義の流れには、その生誕時にいわば横からクロスする古典古代以来のヨーロッパの思想の流れとして共和主義があるのではないか。先に述べてしまいますと、共和主義の理念は「自律(オートノミー)」なんですね。他国の脅威や時間の経過の中での運不運を克服するべく、自ら律するということ。これはアリストテレスが『政治学』で述べるアウタルケイア(独立自存)なのですが、要するに、国家が政治体としての身を持ち崩さぬよう、確かに身を持するということです。つまり、時間の経過を超えた国家の安定と存続。こうした理念が、実はバークには保守主義という形で変容しながらも継承されていたのではないかと、拙著では解釈しました。

――その後のご研究を拝見すると、共和主義や保守主義と並んで歴史叙述ということが先生のご関心に上がってきているように思われます。

 歴史叙述(ヒストリオグラフィ)、すなわち歴史を書くことですね。歴史学者は当然ですが歴史を書く。とはいえ、歴史を書き、語るとは、何をしていることになるのか。これも歴史学者のポーコックから学んだことなんですが、歴史を書くとは、より限定していえば、自分たちの政治共同体の歴史を書くということは、その政治共同体に生きる自分たちが何者であるのかを論じることであり、同時に過去の先人たちはどうあったのか、さらには未来において自分たち(まだ生まれていない子孫たちも含めて)はどうありたいのかを論じることでもあります。歴史を書くことは、政治共同体の過去・未来・現在について、実践的(プラクティカル)に関与していくことです。
 ですから歴史学者、あるいは歴史に多少なりとも携わる人が物を書くことは、その場所が書斎や研究室ではあっても、それは端的に一つの政治実践です。たとえば、街頭に立って演説する、議会で討論する、選挙で一票を投じるなど、それらでもって政治的行為というのはすべてなのかというと、まったくそうではありません。歴史叙述とは、自分たちの過去を書き、語ることによって共有することなのですが、そもそも歴史は、語源的に考えると、ストーリー(物語)でもあります。自分たちのこれまで、今、そしてこれからを物語ることで、自分たちの国はどうしていきたいのかを示す。過去に学びながら――先人たちのなしたことには功績もあれば、失敗や罪もあるでしょう――、それらを踏まえて、なぜ今自分たちはここにこうして立っているのかを自己理解として持つこと。ポーコックは、そうした役割や意義を担う歴史叙述が、現代ではきわめて困難なもの、もはや不可能なことになりつつあると警鐘を鳴らしています。
 なぜなのでしょうか。それはポーコックによれば、現代は「情報爆発」の時代だからです。テクノロジー文明の中で誰しもが、長い時間をかけて紡ぎ出された過去についての物語に関心を寄せ、その叙述に触れるという経験を失いつつあります。SNSを通じたインスタントなメッセージのやりとりや、次々に舞い込んでくる世界中の情報の摂取に四六時中没頭していたり、動画やエンタメに脳を浸食されていたりするため、私たちは、もはや歴史を語ることも書くことも読むこともできない環境に置かれているといえます。しかし、自分たちの歴史を語れないとなれば、自分たちが何者であるかも、自分たちがどうしていきたいのかもわからなくなる。自己理解と自己統御こそまさに自律なのですが、歴史の消滅が実現してしまえば、人間の自律性は完全に失われてしまいます。
 学生の皆さんが法学を修める際の最重要の概念の一つでありながら、僕にはまったくもってよくわからない、難解な概念が「主権」なのですが、ポーコックによれば、主権とは、歴史を語る能力であるだけでなく、自分たちの歴史を批判的に語る能力でもあり、その歴史をさらに未来へと語り継いでいく能力です。そう言われてもピンとこないかもしれません。しかし、たとえば今皆さんがこの瞬間に、すべての記憶を失ったとしましょう。ここはどこ? 私は誰? この人たちは誰? わたしたちは何をしてるの? となってしまうんですよ。自分が何者であるのかという了解、すなわち、アイデンティティが危機に陥り、喪失の危機にさらされるわけです。誰でも、自分は大体こういう人間だという自己認識を持っていますよね。その基礎になっているのは、自分の過去の積み重ねについての振り返りです。自分はこういうことをしてきた。自分にはこういう友達がいる。自分はこういう家族と一緒に暮らしている。将来はこうなりたい。過去についての記憶と現在についての理解、そして未来に関しての希望があるから、僕らは自分の権利と責任でもって、様々なことを決定できるわけですよね。それが自己決定であり、自律です。もし記憶がなければ、「あなたの責任で自由に意思決定してください」、「今日何しますか」、「将来何になりたいですか」と問われても、おそらく決定などできなません。何もできない。つまり、自分を律することができなくなってしまう。この問題は個人においてだけでなく、人間集団としての政治共同体、すなわち国家においても同じく本質的です。個人の自律能力が、国家においては主権に該当するわけです。そのような意味での国家の歴史を物語るということが不可能となりつつあり、したがって国家主権が消滅の危機に瀕している。これがポーコックの問題意識ですし、僕もその問題に対峙しなければならないと思っています。そして、それが保守主義の問題なのです。
 保守主義というからには、何かを「保ち守る」わけなんですが、今日残されている課題の本質と可能性は、そこにしかないのではないでしょうか。もちろん、国防、福祉、教育など、様々な政策課題は山積みです。しかしながらそれ以上に、それらの政策課題について、自分たちの頭と言葉で考え、議論し、意思決定していく上での自律性、すなわち主権を保つためにこそ、歴史を書き、語るという作業がどうしても不可欠になってきます。しかし、その歴史を書くという営みと、書かれた歴史を読むという営みが、僕らの日常生活からどんどん失われてゆく一方なのです。
 こういった問題意識に基づいて、保守主義と共和主義の接点というところから始まった保守主義の理念の探求が、現在では、いかに歴史を物語ることができるか、そのことによって政治的、哲学的に何が可能になるのかといったことに、僕の関心はシフトしてきているわけです。

――先生のご業績のなかで、A・ダントー『アートとは何か――芸術の存在論と目的論』(人文書院、2018 年)の翻訳があります。少し異色な印象を受けますが、これはどのようなご関心によるものでしょうか。

 前任校で所属していたのが芸術学部、かつ絵画をはじめとする美術作品を作る美大生たちに思想や哲学を教える立場だったので、いつか直接に彼らの役に立つ研究上の仕事もきちんとやりたいと考えていました。ではなぜ、ダントーのアート論を翻訳しようと思ったのか。それは、この著者が美学を専門としているだけでなく、もともとは歴史哲学を専攻していた哲学者でもあり、歴史哲学は歴史叙述と重要な関係にある、と考えたからです。
 そもそも、芸術作品が生み出されて、それが傑作として評価されることと、僕たちが政治主体となって政治を担い、何かを成し遂げ、それが評価されて歴史と化すこととは、まったく無関係ではないどころか、むしろ地続きの事象です。どちらも共通感覚(コモンセンス)と関わるのですが、何が美しいのか、何が傑作なのかを感じ取り、判断する能力と、僕らにとっての利益、僕らにとって大切なもの、逆に僕らにとっての不利益について認識し、その認識を共有する能力は、煎じ詰めるところ一つなのです。ある絵画を見て美しいと思ったり、自分たちの歴史に崇高な何かを感じたりするのは、人間の身体と精神に備わっている共通感覚の問題だということです。美術ではなく広い意味での芸術に属するのが音楽ですが、音楽についても同様で、プラトンやキケロは、人々が親しんでいる音楽の様式を変えることなしに法律を変えることはできないという趣旨のことを述べています。裏返しに言えば、音声の美をどのように享受するのか、その感覚が変われば、自ずと正邪の観念も変容せざるをえないということでしょう。いずれにせよ、政治や法律と美的感覚は内的な結びつきにあると捉えてきたのが、西欧政治思想の一つの伝統です。
 一番の問題は、そうした美的感覚が機能しなくなること、あるいは、機能する必要がない状況がやってきてしまうことです。とても有力な一つの歴史哲学があるのですが、それによると、芸術はもう終わった。もはやこれまでの作品を凌駕するような傑作は生み出されないし、その必要もない。そういう歴史についての見方が、ダントーの唱えている歴史哲学なのです。そして、美術や芸術にかぎらず、人類の歴史についても同様のことが言われている。つまり、人類の歴史は終わった。というのも、その目的は達成されたから。目的(end)が達成されれば、それまでのプロセスは終焉(end)を迎える。人類の歴史の究極目的とは、自由と平等を普遍的に実現することであり、それに最適なシステムが民主主義と資本主義である。そのことを証明したのが、冷戦の終焉を象徴したベルリンの壁の崩壊(1989年)である。冷戦とは、最高の統治システムの座をめぐっての、共産主義と自由民主主義の最終闘争の局面だった。自由と平等を全人類に享受させるにあたって、自由民主主義よりも優れたシステムはもはや現われない。これまでの歴史は、このゴールに向かっての闘争の過程であり、封建制から絶対王政をへて市民革命に至る一直線の進歩の過程であった。進歩の道のりが走破された以上、さらにこのレースを続けることはできない。その意味で、歴史は終わったのだとされ、このような歴史哲学を芸術に応用したのが、ダントーです。
 このような歴史哲学に僕は強烈な違和感、抵抗感を覚えます。ポーコックの歴史叙述論からすると、ダントーのような歴史哲学は、自らを律するということの放棄に繋がります。このような問題系の連鎖があって、今日なお絵画をはじめとする美術作品の制作に取り組もうとするのなら、思想的ないし理論的に乗り越えなければいけない目標として、ダントーを位置づけてほしい。そんな思いで訳したのがダントーの『アートとは何か』でした。
 本学の法学部生にも、できればこの本は読んでもらいたい。それと同時に、著名な画家の展覧会が巡回してきたら美術館や博物館に足を運んで、生の作品に直に触れてほしい。美術にかぎらず、映画やコンサートなど、芸術を直接味わう機会をできるだけ多く活用してもらいたいです。本物を知り、感じとる力は、美術や芸術だけでなく人生と社会においても、本物とニセモノの違い、真のリーダーとデマゴーグ(大衆煽動家)の違いを見抜く判断力や直感を育み、磨き上げるものだと思います。それを補佐するのが、読書や勉強を通じて我がものとした知識や概念、そして思考力です。そのどちらをも重要な資質とするという点で、法学部生こそ、芸術体験と知的トレーニングのバランスが求められるのかもしれませんね。

――先生は学生時代にどういった大学生活を送られましたか。

 振り返ると恥ずかしいです。まったく模範的な学生とはいえませんでした。熱心に講義に出席するというよりは、他学部生――文学部とか工学部の建築学科とか――とサークルを通じて知り合って、それぞれサークルには顔を出さなくなってからも付き合いが続いていました。そういう仲間と、レンタルビデオを借りてきて、名画と呼ばれる映画は全部見てみようとか、クラシック、ジャズ、ブルーズのCDやレコードを聴いてみようとか、文学や哲学や思想の書物でも、みんなが知っているものは難しくてよくわからないんだけどともかく読んでみようとか、あれこれとジャンルや分野も関係なく、つまみ食いをしました。そうやってあれこれと語り合いながら、耳学問を深めて、自分では読んだことも見たこともないものまで含めて、何となく知的なマップが徐々にできあがっていったという感じです。
 講義には不熱心なほうでしたが、ゼミには熱心に取り組みました。経済学部と総合人間学部のゼミに出て、学部生の頃から大学院のゼミにも忍び込ませてもらいました。ゼミを通じて、上級生どころか大学院生とも触れ合うことで、とても大きな刺激と影響を受けましたね。大学内での学び以上に、ゼミが終わった後に先輩や同級生、下級生、さらには先生も一緒に繰り出す居酒屋での談義は、楽しいだけでなく、とても深い学びになったと思います。京都大学のある左京区やその周辺は大学街で、居酒屋には他大学の学生や美大生もやってきますし、同年代の社会人にとどまらず、老若男女もやってきます。ときには仲間内だけでなく、居合わせたお客さんとも会話の輪を広げて、そこで知り合った友人や知人も少なくありません。今思えば、そうやって大学や学問の人間関係にとどまらず、広くいろんな年齢、職業、個性の人たちと付き合うことで、ともすると狭く硬くなりがちな視野や考え方を相対化してきたともいえますね。そういう付き合いの人間関係はいまでも続いていますし、学生時代にお付き合いいただいた多くの人たちには、ただ感謝するばかりです。

――神戸学院大学の印象はいかがでしょうか。

 学生に関しては、ほぼ違いは感じないですね。いろんな大学のいろんな授業を担当してきて触れ合った範囲で言うと、どこの大学も、熱心に誠実に真面目に授業を受けて、大学での勉強をしっかりやろうっていう子もいれば、それ以外のところに熱意を燃やして部活動とかサークルとかで頑張っていて、その人なりに充実して生活している学生もいます。神戸学院に関して言うと、校是は「真理愛好 個性尊重」ですが、今のところそれが大切にされている学風と受け取っています。ぜひこうした貴重な学びの場を学生の皆さんにも、どんどん積極的に活用してもらいたいですね。
 ただ物足りなさは若干なきにしもあらずです。たとえば、もっと本をたくさん入れて欲しいとか、ちょっとゼミのシステムを変えて2・3・4年合同で、一時間一コマで終わっちゃうんじゃなくて、たとえば3限・4限・5限ぶっ通しで、全学年一緒にやるとかっていうような、自分たちが経験してきた学び方を提供してあげたいなとか、ないものねだりをすればいくらでも出てきます。これらは大学側の制度やカリキュラムに対してですね。とはいえ、まさに大学としての役割、機能をちゃんとまっとうに果たしているんじゃないかとも思います。なぜかといえば、昔の古き良き大学の雰囲気とか、学びの環境がどんどん失われてしまっているケースのほうが多い傾向に思います。そこへ行くと、神戸学院は、比較的いろんな意味で風通しがいいというか、手かせ足かせになるものは、学生にとっても教員にとっても少ないんじゃないかなと思います。学生の皆さんが求めれば求めた分だけのものが、学びの内容や環境としても、キャンパスライフの舞台としても、獲得することができるのが神戸学院ではないでしょうか。

 

2022年6月23日実施
聞き手:藤川直樹(法学部准教授)ほか法学部1年生有志

 

 

 

 

 

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