法学部1年生有志が足立公志朗先生〔教授・民法〕にインタヴューを行い、これまでの研究と現在の関心を伺いました。 |
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――足立先生は大阪大学法学部を卒業されていますが、まずは法学部進学の動機を伺わせてください。私はもともと理系なんです。もともと法学に関心はなく、中学生の頃は中学か高校の理科の先生になりたかった。先生が目の前でフラスコを振りながら、中の色が変わる…それに物凄く憧れました。理系の研究者にも憧れましたね。中学校の理科の先生には凄く可愛がっていただいて、高校の理数科への進学を誘われ、一緒に学校見学に行ったのですが,結局、高校は普通科に行きました。ところが、困ったことに理数系の新しい概念が全然分からない。例えば物質の量を表すモル。今までとは違う単位が出てきて、それに対応できなかった。物理も化学も数学も今一つ理解できない。僕は本当は大阪大学の工学部に行って、ものを作りたかったんです。そこで理科の先生になる勉強もして、理科の先生として学校に戻ってきたかったのですが、理系の科目が苦手になって諦めました。 文転した後も大学は阪大に行くと決めていました。なぜなら単に家から自転車で30分で通えたから。次は学部ですね。文系学部の中でも、食べていける学部がいい。将来会社を選ぶときに無理がない学部ですね。勝手なイメージですが、文系学部で食べていける学部は経済学部か法学部というイメージがあって、法学部の方が恰好いいと思ったわけです。 もう一つ、『家栽の人』という漫画(毛利甚八/魚戸おさむ)の印象が強かった。主人公は家庭裁判所の裁判官なのですが、植物がとても好きな人、ちょっと変わり者なんです。難しい事件が飛び込んでくるのを、植物を示しながら当事者を説得して、事件を解決していく。実は、僕の実家には漫画が一杯あるのです。親が読書好きだけど、漫画も読んでいて、「勉強なんかしないで漫画も読みなさい」と言われたから、漫画はよく読んでました。『家栽の人』にも魅力を感じて、法律家の世界に飛び込むことに決めた。だから司法試験を受けることも考えましたが、教師への憧れもあったので、社会の先生になるかもしれないと思いながら、法学部を選んだ。率直に言うと、具体的な将来像は描けておらず、法学部に入ったら少なくとも食べてはいけるだろうと考えていました。 ――どのような学生生活を送られましたでしょうか。勉強に関しては真面目ですよ。高校生の時は一度も学校を休まなかったから、大学も休まずにいるつもりでした。授業にはずっと出ていたし、本を読むのは嫌いでないから、講義でこれを読みなさいって言われたら読む。 最初に勉強以外のことから入りますと、高校生の時にバイオリンを始めて、大学でオーケストラに入りました。毎日練習があるので、授業が終わったら練習場でバイオリンを弾く。それに加えて、週に3日程度、塾講師のバイトがあって、それ以外の時は本を読むというように、ただただ目の前の仕事をこなしていました。もちろん、司法試験のことも考えていたので、オーケストラは2年生の前期でやめました。2年生の後期からは司法試験に向けた勉強をしようと思っていたわけです。 ところが、司法試験の勉強が楽しくなかった。他人の人生が懸かっている割には、司法試験の問題集で出てくる問題がパズルに見えて、なんでこんなことをやっているのだろうと思ったのです。それより面白いものが他にあって、例えば法哲学や一般教養の哲学関連の授業をとっていて、関連する本を読みました。フランス語も好きだったから高校生の時に自分で勉強し始めたのですが、大学のフランス語の授業できちんと勉強し始めたら、例えばデカルトとかルソーとか、フランス語の本が少しずつ読めるんです。別に体系的に読んだわけではありません。法学に直接関係ないことは分かった上で、ただ興味がある本を時々めくっては「なんて面白いんだろう」、「なんてすごい世界なんだろう」と思っていましたね。 勉強する大きなきっかけは、やっぱりゼミです。大阪大学は3年生からゼミが始まる。法哲学のゼミを考えていたのですが、それは親から止められました。法哲学が自分に向いていないことは後に分かったので結果的に正解でしたね。次に考えたのが憲法でした。アメリカ憲法のとても有名な先生がいらして、その先生のゼミで勉強したいと思っていました。ところが、僕が3年生の時に司法試験の考査委員になられて、希望者が殺到しました。ゼミの選考は抽選だったのです。僕は籤運がめちゃくちゃ悪い。だから、抽選で見事に落ちて、その憲法のゼミには入れなかった。問題は第2希望ですが、ある先生の民法のゼミにしました。それは民法だからではなくて、阪大で一番迫力のある先生だったから。あえて厳しいゼミで自分を鍛えようと思ったのです。阪大のゼミは3年生10人、4年生10人の合同ゼミでした。3年生2人、4年生2人で4人グループを組む。報告が年に1回、4回連続。つまり、年に1回、1ヶ月報告が続く。ゼミの時間は、うちの大学みたいに90分で終わりません。5時限目に授業が始まってから先生がもうこれで終わろうって言うまで続く。それが4回連続です。その準備が報告の1ヶ月前から始まります。先生が最高裁の判決を示されて、それからが準備期間。その間はゼミ以外の授業に出ません。だって、授業に出てたら準備が終わらないから。その1ヶ月間は図書館に朝から晩まで4人でこもって、ひたすら本を読み続ける。図書館に朝一で入ったらグループ学習室を借りて、関連する本をテーブルに広げて、それを囲んで必死にやる。そしたらね、もう頭がおかしくなる。それなのに結局よくわからないんですよ。まだ学生だから理解力が足りない。だけど、ものすごく勉強したという経験はできた。本当に読めるものは全部読む。活字になっていて、手に入るものは全て。だから、それこそ明治時代の旧仮名遣いであれ、手書きのものであれ、読めるものは全部、関連する判決も全部、学説も全部、とにかく全部読む。それをまとめて、報告する。それでも足りない。先生から読みの浅さを厳しく指摘される。そのような勉強を3年生の時にやったんです。それ以外は普通です。別にずっと勉強してるわけじゃない。テレビゲームだってするし、バイトにも行くし、ダラダラすることもあるし、友達とも遊ぶし、飲み会にも行く。ただ、本当にゼミの時だけは、とにかく勉強した。 4年生ですが、阪大のゼミは原則として持ち上がりなんですけど、法学部のある先生が、「せっかくだからいろんなゼミを見たらいいんじゃない?」と仰った。だから「せっかくなので」4年生は別の先生のところに行ったんです。それが吉田光碩先生のゼミ。吉田先生は阪大に来られて間がなかったから、ゼミ生があまり集まらなかった。4年生が僕1人で、3年生が2人、合計で3人だから、報告が月に1回回ってくる。1人で報告をします。4年生の時は僕はもう授業がなかったから、朝から晩まで図書館の書庫にこもっていました。[学生にコピーの束を示す。]これはね、4年生の時の資料の束です。判決1件分ね。1ヶ月に1回こういうのを集めて読んで、レポートにまとめました。1年の間にこういう束を合計で6、7個ぐらい作りました。卒業論文は義務ではなかったけれども、吉田先生の勧めを受けて書きました。僕が卒業論文のテーマに選んだのが最高裁平成11年11月24日大法廷判決(民集53巻8号1899頁)。これは抵当権に基づいて抵当権者が不法占有者を追い出すことができるかという論点が問題になった非常に有名な判決で、これをテーマにして、卒業論文・卒業レポートを書いて、それを持って大学院に進むことにしたわけです。 ――研究者を目指されたきっかけは何でしょうか大学3年生の時に、今の就活とは違うんですけれども、家に一般企業から勧誘の手紙が届きました。司法試験の勉強に行き詰まっていたころです。実は、僕は学年で言うと法科大学院の一期生にあたる。だから、司法試験を受けるならロースクールに行きなさいと教えられた。でも、ロースクールは最短でも既習コースの2年で、授業料が高い。そんなお金を払ってまで司法試験を受けるつもりはなかったし、友だちみんなに言われました。「足立君は法律家には向いてない」、「情に流されるからやめたほうがいい」と。そのような中で、一般企業から手紙が届いたときに、無理に法律家を目指す必要はないと思うと、ぼやっとした、司法試験を受けるという考えが一気に崩れ去った。そんなときに、祖母から、「せっかく大学に行くなら、大学院まで行ってちゃんと勉強したらいいんじゃない?」と中学生の頃に言われていたことを思い出したんです。私はその言葉に頼って人生の決定を先延ばしにしました。その頃は,はっきりと言語化できなかったのですが,本当は研究者がいいと思っていました。理系の研究者という最初の憧れとつながるんですね。皆さんは、研究者ってどういうイメージですか。一つのことを突き詰めて、かなり特殊な人だというイメージと、そんな人に自分は到底なれないという思いがありました。ところが、大学にいるうちに、もしかしたらなれるかもしれないと思うようになった。その思いを持ったまま、いざ大学院に入ってみると、やっぱり大変だと思う反面、一流にはなれないかもしれないけれども、もしかしたらやれるかもしれない。自分はこの大学という空間が好きで、大学で食べていけたらどんなに楽しいだろうと。そういうポジティブな方向を少しずつ探しながら、前に進んできたわけです。 もう一つは、教師に対する憧れもありました。研究者に対する憧れと教師に対する憧れです。大学で学生と一緒に、同僚と一緒に、いろんな問題を考えるのは楽しいだろうと思いながら、研究者に対する憧れを少しずつ具体化して,言語化していく、そういう感じだったわけです。 ――大学院での研究テーマについて伺いたいと思いますが、民商法雑誌139巻に連載されたご論文[「フランスにおける信託的な贈与・遺贈の現代的展開(一)~(二・完)―「段階的継伝負担付恵与」・「残存物継伝負担付恵与」と相続法上の公序―」民商法雑誌139巻4・5号、6号(2009年)]は修士論文でしょうか。それが違うのです。まず修士課程で勉強したことを話しますね。先ほど名前が出た吉田光碩先生に大学院への進学を相談したのだけど、吉田先生はもともと銀行・研究所でお勤めだった方で、外国法の指導はなさらない。ところが、研究者になるためには、フランス法・ドイツ法・アメリカ法など外国法ができないといけない。僕はフランス語をずっと勉強してたから、フランス法がいい。僕はフランスが好きなんです。フランスは僕の正反対なんです。僕は秩序が好き。フランスは自由。だから、何をやっても自分と正反対なんです。それを見てるとすごく面白い。もちろんフランスにはフランスの秩序があるし、先ほどの見方は一面的なのですが…。いずれにせよフランスが好きだから、フランス法をやりたいと思った。それがタイミングがよいのです。ちょうど僕が修士課程の一年生の時に――この方が僕の師匠になるわけなんですが――幡野弘樹先生が阪大に来られたんです。阪大に着任されてすぐ、先生が大学院生を集めて、特別に授業をしてくださったのですが、その後、僕はその幡野先生を訪ねて、フランス法の指導をお願いしたんですね。もちろん幡野先生は大変驚かれましたが、その後、吉田先生と幡野先生が話してくれて、幡野先生が私にフランス法を教えてくださることになった。 僕は卒業論文で抵当権のことをやったでしょう。大学院ではそれをフランス法という観点から見るつもりでしたが、見通しが立てづらかった。そこで別のテーマを考えることになり、幡野先生が僕に300~400ページくらいあるフランスの博士論文1冊を示されて、「これを1ヶ月で読んで報告書を作っておいで」と仰った。ポンと渡されて、「1日10ページ読んだら1ヶ月で1冊読めるね。そこから良いテーマを見つけてごらん」と仰った。それから1ヶ月かけて1冊の本を読みました。仏和辞典とフランス法辞典を手元において文字通り格闘です。大変でしたけど、初めて見る言葉にワクワクしながら読み進めました。出来上がったレポートを踏まえて、テーマを絞りました。結局修士論文のテーマとして選んだのは、特殊な義務、物権と債権が交わる特殊な概念です。「物的義務」というのですが、地益権がそれに近いですね。この概念が「所有権って何なんだろう?」という問につながるのです。「所有権の絶対性」という言葉がありますが、所有権が絶対だったら、みんな所有物をやりたい放題使って無秩序になりますね。どこでその収拾をつけるのかという点に関心を持ちました。物的義務というのは、ある物を所有する人間が一定の義務を負う、つまり、その物を所有することに伴う特殊な義務のこと。この概念を勉強することで所有権の絶対性に対するアンチテーゼが見出せるのではないかと考えた。その概念を踏まえて修士論文を書いて、その論文を持って博士課程に進学するんです。 普通は修士課程で書いた論文を博士課程で洗練させて、公表して、それが一つの業績になるんだけど、自分は修士論文が納得いかなかった。そこで幡野先生とまた相談して、結果たどり着いたのが「信託」。信託というのは、ある財産を持っている人がそれを他人に預けて、その他人がこの財産を運用する。例えば、私が今おじいさんだとして、この財産を信頼できる人に預けます。私が死んだら、この財産を私の子に渡してくださいって頼むんです。私の子はまだ子供だから、その財産をすぐ渡すわけにはいかない。だから信頼できる人に一旦預けて、それで私が死んだら、それで子供が大きくなったら、この財産をその子に渡す。あるいは、私が死んで、その子にお金が必要な時に、この財産から得られた収益をその子に払ってもらう。ところが、この信託制度が所有権とぶつかるんです。だから、これを勉強すると面白いはず。信託はイギリスの仕組みだから、フランス法の人間にはピッタリ来ないのだけど、ちょうどよいタイミングでいいネタが出てきた。それが「信託的補充指定」。私が博士課程に進学した2006年に、フランスで民法改正があって、そこで信託のような制度が再評価された。これはきっと意味があるだろうと考えて、信託的補充指定を勉強することにしました。だから、あの論文は、たまたま相続をテーマにしていますが、もともと所有権に対する関心から行き着いたものだったんです。 ――信託遺贈に関する博士論文(足立公志朗「フランスにおける信託的補充指定の歴史的考察(1)~(5・完)」神戸学院法学43巻3号(2014年)、44巻1号(2014年)、44巻2号(2014年)、45巻1号(2015年)、46巻1号(2016年))を拝読いたしますと、ローマ法や古い時代のフランス法から議論がなされております。大学院に入った後、法哲学を勉強する友達ができたのですが、一緒に議論をして、僕は法哲学には向いてないことが分かりました。抽象的な思考が得意ではない。趣味でやる分にはいいけど、食べていくのは難しい。自分は具体的な方がいい。そこで自分は過去に遡ることにした。 なぜ過去かというと、今の姿は、元の姿に枝葉がついたものなのですね。生まれたときには何もない状態だとしても、成長する中でいろいろ枝葉がついていく。皆さんだって、ここまで一直線で来たわけじゃないでしょう。枝葉がつく内に、歪になる部分が当然出てくる。今の姿を見た時に、その内部で一貫してない部分がある。今の法制度を見ても、完璧なものはなくて、矛盾、歪なところがある。僕は、その歪な部分がどこから来たのかが気になるのね。それが理論的にどう解決できるかを考えるよりは、そこに至る過程が気になる。今ある制度から戻れるだけ戻ると、どのようにしてその矛盾が生じたのかが分かる。だから、僕は歴史は好きだけれども、歴史自体を見るよりは、今あるその姿を解明するために遡っていきたい。そうしたら、今の姿がよくわかるんじゃないか。 ところが、歴史を遡るのはとても難しいわけです。まず言語が要ります。フランス語もある程度遡ると古いフランス語がわからなきゃいけないし、それ以上遡るとラテン語が必要になる。幸いなことに大学院生のときにローマ法の林智良先生から、ラテン語とローマ法を教えていただきました。そして教えられた知識をもとに、自分でできることは自分でやる。もちろん、教えてくれる先生は身の回りにおられたけれども、究極的には全部自分でやらなきゃいけないから、読める限りは読む。この世界にいる以上は、できないとは言えないので、自分でできることは自分でやらなければならない。そのための手がかりは、歴史に関しては、林先生が教えてくださったのです。 なお,民商法雑誌に掲載していただいた論文と、今挙げていただいた歴史的考察とがセットになって、僕の博士論文になります。 ――博士論文を書かれたときの苦労など、何かありましたら教えてください。私は調べ物をするのはすごく好きなんです。だから、調べること自体は、それほど苦痛ではないんですね。同じことを5年とか10年とか考え続けたり、地道な作業が続いたりすることは全然問題ないのですが、一番難しいのは、大きな骨組み、大きなストーリーの組み立てですね。自分の関心であれこれ調べていくと、あっち行ったり、こっち行ったりする。それを一つのストーリーに組むのがすごく難しい。調べものをしてラテン語が読めないのは、もちろん苦労します。ラテン語は何百年も使われた言語だから、古いラテン語と中世のラテン語は当然違うわけです。文章が書かれた背景事情も違いますから、文章の中身がよく分からない場合もある。そのような苦労はあるんですが、どうしても分からないことは今後の課題にして、分かる限りで先に進む。厳密に詰めることも必要なのですが、僕はそれよりもパノラマが欲しいのです。ある制度の今の姿を理解するための、スタートから今の時点に至るまでの、大きな見通しが欲しい。そのために、わかる限りのデータをつなぎ合わせていって、大きなストーリーを組んでいく。その組み立てが難しいですね。だから一番苦労したのは、博士論文の序文です。これを書くのが一番大変なんですよ。 教員となった今、僕もゼミでは、自分でテーマを決めて調べておいでって言うんです。そうすると、ゼミ生はきちんと調べて書いてくるのだけれども、それがなぜ面白いのかを書きなさいって言ったら、難しい。もちろん面白いから調べるのだけど、その面白さを他人に伝えなきゃいけない。自分で面白いと思ってやるのであれば、趣味の世界ですよね。研究者は自分で面白いと思ったものが、こういうことに意味があると説明できないといけない。そのためのストーリーを作るのがなかなか難しい。 ――その後、足立先生は福島大学に赴任された後、2012年に神戸学院大学に着任されました。その時に、吉田光碩先生も本学に移られていましたね。神戸学院大学から求人が出て、そのとき偶然吉田先生も神戸学院大学におられた。だからといって僕を採用してくれるわけではないけれど、住み慣れた関西に戻る道があるならば戻りたいと思って、本学に応募しました。だから吉田先生がおられることが分かったうえで、ここに応募して、採用していただきました。2012年ですね。教員として吉田先生と再会するのは、とても面白かったですがちょっと恥ずかしかった。ここには自分が学生のころの阪大の先生が、その後何人か来られました。会社法の吉本健一先生〔本学元教授〕は僕と同じ年に本学に来られて,その後,政治学の河田潤一先生〔本学元教授〕もいらっしゃいました。「足立さん」と声を掛けていただくのが本当に恐れ多かったのですが、対等な目線でお話しいただいたのはとてもうれしかったですし、そのような時間が過ごせたのは本当に幸せなことでした。 ――神戸学院大学着任後は博士論文も連載をされ、着々と成果を出されておられますが、2018年から2020年までフランスのトゥールーズ大学に在外研究に行かれていますけれども、その間のフランスの状況とか、こういう生活が楽しかったとか、そういう話も教えていただければ嬉しいです。2018年の9月から2020年8月末まで、フランスのトゥールーズに行きました。大学院生のころ、パリ第2大学のミシェル・グリマルディ先生という相続法の権威からトゥールーズ第1大学のマルク・ニコ先生という相続法の先生をご紹介いただいて、それ以来ニコ先生とお付き合いがありました。ニコ先生は高名な相続法の先生で、以前から「在外研究の機会には、自分が受け入れるよ」と言ってくれたので、お言葉に甘えました。トゥールーズにいる間は時々先生とお話しをしましたが、それ以外は一人で勉強していました。学生の時と一緒ですね。資料には事欠かないので、自分の関心があることを調べて、好きな本を読む。テーマは、遺産分割の計算方法なんです。日本でもフランスでも、遺産分割の方法が条文で示されているのですが、僕は大まかな指針ではなく、実際に細かく計算して、相続人の間の公平性がどのようにして確保されているかを知りたい。そこで、フランスの実務における計算方法を勉強した。他には、それ以前に書き上げた博士論文の「答え合わせ」のような作業もしました。フランスには資料が豊富にありますから、日本で書いたものが本当に正しかったのかを確かめ直す。その結果を踏まえて、帰国後に日本私法学会で学会報告をします。博士論文ではローマ法から議論が始まっていて、扱う時代が長いわけです。弱点は自分がよくわかっているので、学会報告をするのも少々ためらいがあったのですが、在外研究で勉強し直したおかげで一歩前進する気になれました。 それ以外にも、いろいろなことを勉強しました。まず、学生に混じって授業を受けました。やはり耳で講義を聞くと、イメージが沸きます。それ以外にも、先生方の講義スタイルや、聴講している学生の姿を眺めるのも面白かった。例えば、相続法は、うちの大学では3年次以上配当ですが、フランスでは修士課程向けの科目なんです。公証人志望の学生が聴講していたのですが、やはり学部の学生よりも熱心でした。講義以外では、自分の研究分野以外にもいろいろと調べものをしました。例えば、マンションを借りて住んでいたんですけれども、マンションの契約書を読みながら、契約書の各条項の意味を、フランスの契約法の本などを見ながら、一個一個照らし合わせました。それから在留許可ですね。外国人がフランスに住むための要件、なぜ私はフランスにこうやって住めているのだろう。外国人の問題を突き詰めると、国籍の問題につながっていて、実は法律にとって一番重要なポイントなんですね。法は人が軸になっていて、法は基本的に国家のものだから国籍という概念は重要なんです。 あと、最も重要なのは公証人という法実務家との交流ですね。公証人ってご存知ですか?日本にもある法実務家で、公正証書を作る法律家といえばイメージが沸きやすいかもしれません。日本ではなじみが薄いかもしれませんが、フランスではほとんどの相続に関与する非常に重要な法律家で、フランス法を理解するためには公証人の職務を理解しなきゃいけない。法律を動かす人が必要なんですね。日本だったら例えば弁護士や司法書士をイメージするでしょうが、フランスではまず公証人。公証人が相続法という文言に肉をつけてくれる。それが知りたい。マルク・ニコ先生に公証人を何人か紹介していただいて、インタビューをしに行って、事務所見学をしました。そこで得られたメモが直接論文になるわけではないのですが、具体的なイメージが今後の研究につながるのです。だからいろいろ見ましたよ。公証人の事務所の中に、遺言書などがまとめられた冊子の束がある。具体的なものを見せてもらうと、すごくイメージが湧くんです。些末なことですが、時代によって紙の質が違う。戦争中は紙の質が悪くて、戦争が終わると少しずつ紙の質が良くなる。いつの時代までは手書きで、この時代のインクの色はこう。ある時代になるとタイプライターで書くようになって、紙の量が一旦減って、その後ペーパーレスになると思ったら、パソコンで書くから分量が増える。それを見ながら、時代による変化を感じました。フランスの相続法の教科書に書かれた1つの文からでさえ、在外研究の後には豊かなイメージを持つことができるようになりました。 勉強から離れますが、興味深い動きを2つ挙げます。一つ目は、黄色ベスト運動。ちょうど僕が行った時にエマニュエル・マクロン大統領がディーゼルの税金を上げたんです。フランスは日本よりも自家用車への依存度が高い。フランスは公共交通機関が十分に発達していますが、それでも日本ほど交通網が細かく張り巡らされているわけではないから、車がないと皆困る。にもかかわらず、ディーゼルの税金を上げた。そこに、これまでのマクロン大統領に対する不満が相俟って、フランス全土で大規模なデモが起こった。トゥールーズは特にデモが活発で、毎土曜日は街のあちこちで煙幕が炊かれてね。フランスには子どもを連れていったのですが、子どもがデモに遭遇すると怯えるのです。ただ、日々のニュースを見ていても、黄色ベスト運動の根本的な原因はよく分からないから、黄色ベスト運動に関する本を何冊か買ってきて、法律とは関係ないけれども、延々と読んでいました。 もう一個、これは面白くはないけれども、帰国の寸前、2020年の春といえば、コロナです。フランスでロックダウンを経験しました。あれはショッキングでしたね。最初は小さなニュースだったのが、トップニュースになり、最後は外出が禁止される。一番厳しい時期は、必要最低限の買い物に出かけることしかできない。私はアジア人なので、相当に気を遣いました。ずっとEU圏内にいたので、私がウイルスを持ち込むことはないのですが、アジア人は警戒されました。コロナに罹患することを考えると不安もありましたが、フランスは医療についても先進国ですので、現地で注意しながら生活を続けました。幸い何もなかったのですけどね。フランスで外出が禁止されるという、非常に得がたい経験もあったわけです。 外出禁止の間、精神的には相当厳しかったわけですが、これも1つのきっかけということでその記録をとることにしました。ロックダウンで皆自宅から出られない、しかし取引は進む。ところが公証人事務所に行かないと書類が作れないわけです。それでは、どうしたらよいかが問題になって、仕方ないからビデオ通話をもって対面に代えることを、時限立法で特例的に定めた。この法律に関する資料を少しずつ集めて、帰国後に「フランスにおける2020年4月3日デクレについて」(神戸学院法学49巻2号(2021年))という論文にまとめました。 ――現在の研究について教えていただければと思います。今、国家がデジタル化を進めています。確かにペーパーレスになると便利な面もあります。例えば、戸籍や登記のデータがネットワークで役所の間で共有されると、僕らは紙媒体を持っていかなくて済む場合がある。しかし、僕が疑問に思っている点が一つある。それは、さっきの公証人の話につながるんだけど、日本の公証人法と民法が改正されて、公正証書遺言の要式が変わった。日本の遺言は何種類かありますが、主なのが2つあって、自筆証書遺言と公正証書遺言。自筆証書遺言は自分の手で書くものです。遺言の内容を書いて、氏名と日付を書いて、ハンコを押す。これは手軽なので誰でも書けますが、誰でも書けるがゆえの問題点がある。つまり、その要件を満たさなかった場合、遺言として成立しないから、慎重を期すならば、公証人に公正証書遺言書を書いてもらう。問題はその手順です。証人2名がいる前で、遺言する人が公証人に遺言の内容を口頭で伝える。公証人がそれを聞いて書面にまとめる。そして、公証人がその文書を本人と証人がいる前で読み上げて、これでいいですよってなったら、本人・証人が署名をして、公証人が署名押印をして出来上がり。細かい要件はあるんですが、それは横に置いておきます。これまではこの手順は対面でなければならなかった。ところが、先ほど紹介した公証人法と民法の改正によって、この手順をZoomでできるようにした。問題はここです。Zoomですると、何が起こるでしょうか。公証人は公証人の事務所にいる。遺言をする人は、病気や高齢で体が弱っており、自室のベッドの上にいる。ベッドにはカメラがある。公証人の方にもカメラがあってZoomでつながっている。ベッドの周りには家族がいるかもしれないけど、家族がいたら本心を言いにくいでしょう?例えば自分に子供が何人かいて、「儂はこれこれを誰それにあげて」って、言いにくいよね。だから、本当は人払いをしなきゃいけないんです。「家族はちょっと出てください。ご本心を聞きたいんで。」その上で、先ほど紹介した手順をふまなければならないのだけど、カメラ越しだとどうなるか。もちろん証人はいなければなりませんが、カメラの裏に家族がいるかもしれない。解説を読んだら、「公証人は心配な場合はカメラを一回転させてください」などと書いてある。カメラを一回転させた後、カメラの裏の扉から人がこっそり入ってくるかもしれない。これはダメ。死者の文面を書き換えるって、これ以上に死者の尊厳を冒涜する行為はないですよね。でも、カメラの裏で、利害関係人が本人に圧力をかけることが事実上できてしまう。実はね、一部の保証契約に関する公正証書の作成の場合、カメラではダメというルールになってる。なぜかというと、ご本人の意思がちゃんと確認できないから。だとすると、なぜ遺言の場合にカメラが問題視されないのかが分からない。 いずれにせよ、現行法上はZoomを使っていいわけだから、それは受け入れないと仕方がないけれど、本当にいいのかという批判的な視点は持ち続けないといけない。遺言の作成に関する判決を何件か読んだら、とんでもないものがあります。返事ができないほど衰弱した人、言葉をまともに発せない人が、文言を発したことになっている。じゃあ誰がその言葉を発したのか。周囲の人間なのですよ。今までがそのような状態なのに、カメラですよ。フランスだとカメラの使用には一層慎重です。だから、フランスから学べることはたくさんあるはずですよね。今日はカメラのことだけを例に出しましたが、それ以外にも、公証人の仕事についてフランスから学べることはたくさんあります。最近書いた養子に関する論文(「フランス養子縁組手続における実親に対する公証人の関与」神戸学院法学51巻4号(2024年))も[基礎演習Aのなかで]ご紹介があったかもしれませんが、その研究の一環なのです。 ――最後にこれから学生生活を過ごす一年生にメッセージをお願いします。勉強はできた方がいいけれども、若いうちに勉強以外のこともたくさんやってほしいと思います。勉強しないと卒業できないのだから、勉強はしますよね。だから勉強はそのまま続ければいいのですが、二十歳の感性と四十歳の感性は違いますから、ある一定の年齢が過ぎると物事への感動が薄れるのです。今ならいろんなことに感動ができる。僕は学生の時に「本物にたくさん触れなさい」と言われた。美術館に行ったり、音楽を聴きに行ったり、本物に触れると自分のレベルが上がります。自分の評価軸ができます。自分の評価軸ができたら、ブレない。ブレないのが重要。これが個性です。今の時間を大切に使ってください!
20026年6月15日実施 |
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