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学生インタヴュー:佐竹宏章先生(刑法)

法学部1年生有志が佐竹宏章先生〔准教授・刑法〕にインタヴューを行い、これまでの研究と現在の関心を伺いました。 

――佐竹先生は立命館大学の法学部に進学をされておりますけれども、どういった問題関心で大学と学部を選択されたのでしょうか。 

 私は北海道の出身なのですが、立命館慶祥高校という立命館大学の附属校に通っていました。基本的には附属校入試で立命館の希望する学部に進学ができる状況だったのですが、正直なところ、立命館大学に強いこだわりはありませんでした。どちらかというと法学部に行きたいということが先行していて、立命館の法学部のレベルを考えたときに、附属校入試で入れるならそれでよいかと非常に安易な動機で立命館大学法学部を選んだのが実情です。

 では何故、法学部を志望したかというと、父が警察官だったので、子供のころから自然と刑事法に関心を持っていたからです。高校時代は将来の進路として警察官や検察官などを考えていました。そのためにはどの学部に行ったらいいかを父や高校の進路指導の先生とかに聞いたりしたら、やっぱり法学部だろうっていうふうな話になり、それで法学部への志望を固めたという経緯です。 

――北海道から京都の方に来られたということだと思うんですけども、どういった大学生活を過ごされましたでしょうか。 

 附属校出身だったので周りには同じように進学してきた友人がいたので交友関係は広げやすかったです。1年生の頃は割といろんなサークルに入って、附属校の人間関係とかを基に色々な方と交流を持っていました。私は当時サークルに4つぐらい入っていたのですが、その中の1つが法友会という法律討論サークルでした。神戸学院大学で言うと法律研究会Libraみたいなサークルですかね。そこで、同志社大学で開催されている1年生対象の新島襄法律討論会という全国大会が3月にあったのですが、そこで論者(出題された事例問題についての解答を発表し、質疑に応じる人)になった経験がそのあとの進路にとって大きかったと思います。当時サークルは同期が8人ぐらいしかいなくて、誰が論者になるかっていう話になったときに私がやりたいと立候補しました。民法が論題だったんですけど、その大会で私は9チームか10チーム中8位か9位、下から2番目でした。それが非常に悔しくて、それまでは大学ではあまり勉強せず遊び呆けていたのですが、それを機に他のサークルを全部やめて、法律討論サークル1本に集中しようと思うようになり、もう少し法学について真剣に勉強しようと決意しました。

 1年生の頃とかは…2年生の前期もちょっと怪しいですが…出席がある科目以外は、あまり授業には出席していませんでした。それでも法律科目については割と得意だったので、成績は良かったんですけど、一般教養科目とかはほとんど出てなかったんで、単位こそ落としてはいないのですが、成績は良くはなかったですね。立命館のGPAは最大が5なのかな。神戸学院大学は4が最大ですよね。最大5計算で3ぐらいの成績だったと思います。最大4計算だと2ぐらいですかね。成績があまり良い方じゃなかったです。真ん中よりちょっと下ぐらいになりますかね。ただ、1年生最後の3月の全国大会をきっかけにちょっと勉強し直そうっていうふうなことで意識づけが変わって、勉強し始めて…。勉強するっていうのも、どちらかというと基本書を読む、指定教科書とかを読むってことをやり始めて、授業もなるべく全部出るようにし始めたら、成績とかは割と良くなりました。

 立命館では2年生の時に、法律事務所に実習に行く「法務実習」という授業が夏休みの期間にありまして、その授業を受講したのが研究者の進路を選択したことにとっては大きかったです。その授業は、2年生前期の「訴訟実務入門」(現在は、「訴訟法務入門演習」という名称にかわっているようです)っていう弁護士の先生が担当している模擬裁判とかを行う授業と連続的な授業で、その授業の受講生から10名くらい選抜されて、夏休みに弁護士事務所に実習に行くっていう感じの授業でした。弁護士事務所での実習は2週間程度で、基本的には弁護士の先生が裁判所に行ったり、依頼者との打ち合わせを行ったりする際に同行させてもらって、弁護士の仕事を学ぶというものでした。弁護士の先生が事務所で書類などを作成する際は、時間があるので過去の訴訟記録などを見せて貰っていました。私は刑事事件に興味があったので刑事事件について見せてもらったのですが――1年生の皆さんはまだ学んでないから分からないかもしれないですが――そこで見せてもらった共謀共同正犯に関する事件に非常に興味を持ちました。共謀共同正犯っていうのは共謀、つまり複数人で計画を一緒に立てて、その中の一人が犯罪をやった場合に、計画を立てた人全員が正犯として処罰されるっていう議論なんですね。犯罪を実行していない人や現場に入っていない人も共謀に関与した場合には、正犯として処罰されることになります。でも、共謀共同正犯って、これから皆さん学ぶと思うんですけど、学説では結構批判的な立場もあります。今はちょっと肯定説が強くはなっているんですが、私が学んだ当時はまだ拮抗していて、否定説も今よりはもう少し有力でした。学説が割れているのにもかかわらず、その訴訟記録を見たら、学説が割れているところには何も触れずに、その事件も当然のように共謀共同正犯が認められるという前提で、共謀共同正犯か幇助か、どっちかあてはまるかわかんないですよねって形で争われていました。どういう根拠で共謀共同正犯が認められるかっていう議論は全くされずに、正犯を認める基準が曖昧なまま運用されているという印象を持ちました。その時に、刑事実務で、学説上の確固たる裏付けがないまま、運用されている領域があることに非常に違和感を持ち始めて…。それで、実習の成果として、実習の際に学べたことやそれを通じて考えたことをレポートとして提出する必要があったので、その当時の2006年頃に、国会で「共謀罪」の新設が議論されていたこともあり――これは2017年にテロ等準備罪という形で法律化したのですが――、共謀共同正犯の基準のあいまいさなどから、共謀罪を批判的に検討する8000字程度のレポートを書いたのが、刑事法の研究者になろうというふうに思った大きなきっかけですかね。

 そこから刑法の研究者になりたいと思うようになり始めました。そのことを、――後に大学院時代の指導教授になる――安達光治先生に相談とかしました。安達光治先生は立命館大学の刑法の先生ですが、私が一年生の時の基礎演習の担任の先生で、一番身近な刑法の先生ということで相談しました。相談してみたら、結構親身に相談に乗ってくれて。それをきっかけに、ゼミも安達先生のところを選びました。安達先生は、客観的帰属論という、ドイツで因果関係から派生した議論を専門にしており、当時注目されつつあった議論であったので、ゼミ論とか卒論とかで客観的帰属論について執筆し、研究者になろうという進路が具体化していった感じです。

 ただ、その当時はちょっと過渡期の時代で、法科大学院(ロースクール)がまだできた直後ぐらいでした。ロースクール制度が始まったのが2004年で、私が大学に入学したのが2005年だったので、進路選択の段階にはまだ法科大学院修了者が研究者になっていない時期でした。当時は、今後どうやって研究者が養成されていくかの見通しがない時代で、先生方もどう指導したらいいか分からない状況でした。特に憲・民・刑とか、刑訴、民訴、商法、行政法のように、司法試験で必要とされている科目を専門とする研究者志望者をどうやって指導していくかが不明瞭な時代でした。ロースクールに進学して研究者になるか、あるいは今までと同様に既存の大学院(法学研究科博士前期課程・修士課程や博士後期課程)に進学して研究者になるかが、まだ分からない時代だったんです。私より少し前の世代は、法学研究科しかなかったので、そこに進学していましたが、私が大学生の頃には、ロースクールルートと従前の法学研究科ルートが出来ちゃって、どっちが正解ルートか分かりませんでした。当時ゼミの指導教授であった安達先生に相談したところ、今後はロースクールルートを選択する研究者が増えていくだろうっていう想定をお話しいただいたこともあってロースクールに進学して司法試験に受かってから研究者の道に進もうと思うようになり、ロースクールへの進学を決めたっていう感じですかね。私の世代ぐらいがどちらに進学するかギリギリ悩んだ世代で、私より上の世代は元から法学研究科に進学するのが通常でありましたし、私よりも下の世代は――大学や分野によって変わるんですけど――どちらかというと研究者養成も担っている法学研究科に進学することが多くなっていますね。私の世代は、大学の指導教授によって指導の仕方が違ったという状態で、私はその時も楽観的な人間なんで、おそらく司法試験に受かるだろうと思って、そのままロースクールに進学して、受かってから研究者を目指そうと思って進路を決定しました。ただし、ロースクールに行って司法試験自体は受けたんですが、残念ならが司法試験には受からなかったですがね。

 あと、立命館のロースクールに進学した理由としては、これも消極的な理由なんですが、そこしか受けなかったからです。今と昔では結構制度が違っていて、ロースクール受験者が当時多く存在したこともあり、ロースクールに受験するには適性試験の成績を提出する必要がありました。当時のロースクールの入学者の定員は、受験者と比較してかなり少なかったんですよね。特に国公立とかについては非常に少なかったかと思います。国公立の方が学費も安く、知名度もあるので、国公立のロースクール志望の受験生が多かったので、適性試験の成績が足切りみたいな位置づけになっていました。私も適性試験を受けたんですけど、適正試験の勉強をあまりやらずに受けてしまたったので、普通に点数悪かったんですね。当初は国立のロースクールへの進学も視野に入れてはいたのですが、適性試験が全然ボーダーに達していなかったので、適性試験をあまり重視してない私立のロースクールへの進学を考えた感じです。立命館のロースクールを強く志望していたわけではないのですが…、これはなんとなくですかね。立命館のロースクールだけ受けて、9月に合格したので、ほかは特に受けずにそのまま進学した感じです。

 ロースクール時代は、司法試験に受からないと研究者の道は厳しいと言われて進学したので、当時は司法試験を受かることしか考えてなくて、弁護士とか検察とか裁判官志望のロースクールの院生と同様に、授業を受けていました。ほかのロースクールの院生と違ったことは、その当時立命館大学では研究者志望者向けの授業が1個あったので、それを受講していたくらいですかね。その授業では、私しか受講者はいなかったですが、松宮孝明先生――私の指導教授の安達光治先生の師匠にあたる先生なのですが――に担当いただき、マン・ツー・マンで、翻訳されているドイツの教科書、クラウス・ロクシンという方の刑法総論の教科書を読んで、それについて議論するという授業を、半年間受けていたくらいですかね。プラス・アルファで行ったことはそれぐらいです。あと、ドイツ語については、当時は京都にゲーテ・インスティトゥートがあったので、そこには通っていました。ただ、本格的にドイツ語を学ぶ時間はなかったので、まだ全然論文とかを読めるレベルにはなっていませんでした。

 ロースクールを修了してから、司法試験を3回受けましたが、いずれも落ちましたね。私が受けていた頃はまだ在学中に司法試験は受けることができなかったので(2023年から一定の要件を満たした場合に、ロースクール在学中の受験も可能になっています)、ロースクールを修了した後の5月中旬に試験があって、合格発表が9月というスケジュールでした(現在は、7月に試験があり、合格発表は11月中旬頃)。この合格発表まで、多くの受験生は法律事務所にインターンとか行ったり、修習に向けて、あるいは落ちた場合の試験にむけて法学の勉強を継続したりするんですが、私はドイツに3ヶ月語学留学という形でゲーテ・インスティトゥートに行きました。その期間は、法学の教科書などは持っていかなかったので、法学の勉強を何もせずに過ごしていました。で、帰ってきたら普通に落ちていたので、やばいと思って勉強し直したんですが、当時は受験制限があって5年で3回しか司法試験は受けられなかったんですけど、3回とも不合格でした。別にどの科目が苦手っていうわけではなかったんですが、受けた年によって点数が取れていた科目と取れていない科目が違っていましたね…まあそれがダメだったんですけど。私は基本書を中心に勉強していたので論点自体はある程度わかるので、自分がハマる時は点数高いんですけど、そうじゃない時に点数が下がるという感じでした。司法試験では、本来はそういうムラをなくす勉強方法をすべきなんですよね。弱点をなくして、どんな問題が出ても平均的に取れるっていう風な勉強方法が理想というか、それを目指すべきだったんですけど、私はそれがあんまり好きじゃなくて、自分が好きなテーマ、好きな研究とか、好きな論題とかについて深掘りするようなタイプの人間だったんで、嵌れば合格したんでしょうけど、そんなに上手くは嵌らないですよね。3教科、刑事法系科目、民事法系科目、公法系科目で、取れるときは取れるけど、取れないときは取れないみたいな感じになってしまったので、年度によって平均よりも高い点数もあれば低い点数もありました…。刑事法系科目だってそうでした。今は刑法を専門にしていますけど、当時は刑事法系科目の点数が高かったというわけでもなかったですね。当時は3回受けたら、受験資格がなくなるので、もし司法試験をもう一度受けるのであればもう一回受験資格を取り直さないといけませんでした。法科大学院に入り直すか、2011年からはじまった予備試験を受けるかしないといけませんでした。

 私は、今後進路をどうするか悩んでいたので、ゼミの指導教授だった安達先生とか、ロースクールでお世話になった松宮先生に相談しました。当初は、予備試験を受けて司法試験合格を目指すという方向で考えていたのですが、松宮先生からは、「刑法の研究者志望者が不足しており、しっかりと成果を出せば、研究者として就職の道はあります。むしろ、やる気と語学の訓練が重要です」と背中を押していただき、それでもう1回考え直して、予備試験の受験は断念し、本格的に研究者を目指す方向にシフトしました。

 ただ、すぐに決めることができなかったのが、博士後期課程から進学するか、博士前期課程(修士課程)から進学するかです。ロースクールに進学した人が研究者になる場合、博士後期課程から進学するのが一般的でした。修士課程とロースクールが並行して存在して、修士課程の上に博士後期課程があるという位置づけになります。したがって、ロースクールが修士課程に相当するものになるので、博士後期課程に入学するのが一般的でした。今ロースクール進学した人が研究者を志望している場合も、そのような選択をする方が多いと思います。おそらく私も司法試験に受かっていればそのような選択をしたと思うんですけど、受かってない状況では何も武器がない、法律知識も司法試験に受かるレベルまではない、ってことでどうするか悩みました。博士後期課程から入学したとしても、修士課程から進学している他の院生と比較して語学面でハンデがあるので、同じようには修了できない、標準修業年限内で博士論文を書き上げることができないだろうっていうふうに考えて、もう一回修士課程から、入学することを選択した感じです。指導教授の安達先生は、どちらかというと修士課程からやり直した方がいいというふうには言われてはいたんですけど、最終的にはどっちでも構わないんで、自分の判断でどっちを受けるか判断しなさいっていうふうに言われました。学費のことを考えると博士後期課程から進学すべきとも迷ったのですが、最終的には修士課程の入試を受験したところ、一応受かったっていう感じですかね。

 今振り返ると、その選択でよかったかなって思いますね。やはり語学がまだ何もできない状況でしたので…。語学が得意な方だったら、3年間でも博士論文を書き上げることは不可能ではないと思います。また、最近は刑法の分野では、比較法とかをそれほど深入りせずに博士論文を完成させる方もいたりもしますし。ただ、自分の語学のレベルとかを考えると、しっかりと比較法とかもできるようになるためには、ある程度時間が必要であったかと思います。おそらく、2年間短縮して博士後期課程に進学していたらうまくいかなかったと思います。

――では修士論文と博士論文のテーマを教えてください。

 修士課程の入学時にも研究計画書を出す必要があったのですが、その時点では、現在の研究テーマとはかなり違うテーマで提出しました。当時は、正犯性という議論を研究するという研究計画書を提出したと思います。正犯性っていうのは、さっきちょっと話した共謀共同正犯に関連する話なのですけど、どこまで正犯として責任を負うのか、どういう基準で正犯というのが決まるのかという議論です。正犯っていうのは犯罪者――行為者、Täterっていうドイツ語の訳なのですが――どの場合に主たる刑事責任を負うのかっていう議論をやりたくて。特に同時犯とか、同時正犯の射程を明らかにすることに関心がありました。同時犯っていうのは、複数人が犯罪に関与しているように見えるが、共同正犯のように一緒には実行していなくてそれぞれ独立して実行している場合に、一個の結果に対して二つ正犯が同時に帰属することがあるかみたいな議論になります。正犯の限界を明らかにする一つのアプローチとして同時犯の判断基準や射程を明らかにしたいと思って、修士課程入試の研究計画書を作成しました。

 だけど、ちょうど私が入学した時期に、同じようなテーマを抱えている院生がいまして。そのこともあって、入学後に、少しテーマを変えた方がいいのではないかっていうふうに考え始めました。修士課程入学後から半年ぐらい暫定的なテーマとしては正犯性という議論をテーマにして研究報告もしていました。ただ、論文として形にできるか自分的にも少し不安だったので、テーマを変更することも並行して考えていた感じです。

 それで、私が修士課程に入学した2014年(平成26年)頃、詐欺罪――私は詐欺罪を研究しているのですが――に関して重要な最高裁判例が出たこともあり、それに関心をもったので、テーマを変更することにしました。暴力団員が暴力団員ってことを言わないでゴルフ場を利用し、その後に利用料金も払ってそのまま帰ったところ、詐欺罪で捕まったみたいな事案です。それで、その判例は、欺罔行為、詐欺罪の人を騙す行為に当たるか当たらないかを重視したものでした。最高裁は、同じ日(平成26年3月28日)に2つ帰結が異なる判断を行いました。一方の判例(最決平成26・3・28刑集68巻3号646頁)は、詐欺罪の欺罔行為に当たるとし、他方の判例(最判平成26・3・28刑集68巻3号582頁)はそれに当たらないというふうに判断しました。私は、この帰結に少し違和感を抱いて調べていった感じですかね。私が抱いていた疑問としては、暴力団員である被告人はいずれの事案でも、一応お金は払っているんですね。暴力団員だということを言わないでゴルフ場を利用したってことは悪い行為かもしれないですが、お金は払っている。これの何が損害なのかがよくわからなかった。最高裁は騙す行為に当たれば、お金を払っていようと払っていまいと詐欺であると言っているようなものです。確かに、詐欺罪において、人を騙したか騙してないかっていうのは当然重要ではあるんですけど、それ以外の観点ももっと見る必要があるんじゃないかと思いました。学説では、詐欺については昔から財産損害が必要か否かというところが議論されていました。被害者側に財産的なマイナス状態が生じているか否かってところが必要か必要じゃないかが議論はされていて、どちらかというと必要であるって議論が学説上は強かったんですが、その判例が出たことによって、少し流れが変わりましたかね。特に判例がとっているであろう立場を説明したい研究者の方々は、詐欺罪において財産損害を要求する必要がないということを言い切る方向にかじを切りました。私は、その判例に問題があるのではないかと思いはじめ、修士論文の研究テーマを詐欺罪に設定した感じです。

 ちょっと懸念点があったのは、詐欺のように刑法各論の領域から博士論文のテーマを選択するっていうのが望ましいのかということでした。特に比較法が可能であるのかという点でした。国が違ったら法律って違うじゃないですか。総論っていうのは刑法の犯罪についての一般的な理論を扱う分野なので、刑法総論の領域からテーマ設定をすれば、ある程度普遍性があって、他の国の議論を日本の議論にも転用するってことはしやすいので、博士論文のテーマは刑法総論の領域から選択される傾向が強いです。これに対して、刑法各論では個別な犯罪規定を扱います。国によって犯罪規定が存在しなかったりしますし、同じような犯罪規定が存在しても、子細に見ていくと中身が若干違っていたりします。このような場合に、日本と海外の法律を比較して意味があるのか懸念点があったんです。もちろん、これまでも刑法各論の領域からテーマ設定をする博士論文や重厚な研究はありましたし、ドイツでも刑法各論の領域のテーマについて博士論文とか教授資格論文とかが増えてきていた時期でもあったので、どうにかはなるだろうと安易に考えて、詐欺罪を修士論文・博士論文の研究テーマに選択しました。ただ、修士論文の段階では、まだどういう立場を選択するかっていうのは決めない方がいいと思っていたんで、最終的な帰結がどうなろうと、資料的には価値がある歴史研究の部分を中心に進めました。日本の詐欺罪の歴史とドイツの詐欺罪の歴史部分について修論で調べて整理したっていうのが私の修修士論文にはなりますかね。大学院時代に公表した論文(佐竹宏章「詐欺罪における構成要件的結果の意義及び判断方法について(1)~(6・完)」立命館法学374号145頁以下、同377号198頁以下、同378号26頁以下、同379号81頁以下、同380号43頁以下、同381=382号127頁以下)の中の第2章から第3章にあたる部分が修士論文をベースにして書いた部分にあたります。

 博士論文では、修士論文で行った日本とドイツの詐欺罪の歴史的研究をベースに、両者を比較する土壌があるのかを明らかにすることを意識しました。一般的には、日本の現行刑法の詐欺罪は、フランス人のボアソナードがフランス法を参考にして起案した旧刑法のフランスの詐欺罪を基にして制定されたと理解されています。これに対して、私の研究では、もちろん旧刑法の詐欺罪においてはボアソナードの影響は強かったのですが、旧刑法の詐欺罪の時点で鶴田皓などの意見を多く取り入れ、それ以降の原稿刑法典の制定過程ではドイツの裁判官出身のオットー・ルードルフの意見とかも反映されて上で立法化されたのではないのかっていう分析を行っています。実際に、一時期の草案(明治23年草案)の詐欺罪の規定にはドイツ法的影響が色濃く残っていました。詐欺罪の規定においてドイツ法の影響を受けている部分があるとすれば、日本の詐欺罪の解釈においてドイツ法の議論も参考になるという発想で、ドイツの詐欺罪の「財産損害」についての議論を参考に、日本の詐欺罪の構成要件的結果の解釈を展開したのが、私の博士論文の後半部分(前掲・論文の第四章)になります。 

――その後立命館の研究員や青山学院大学の助教を経て、2024年に本学に着任されましたが、博士論文執筆後の現在の研究テーマや関心について教えていただければと思います。 

 現在の研究テーマは多岐にわたりますが、まずは「詐欺罪の体系的理論の構築」です。博士論文以降に、博士論文では扱いきれなかった論点、とりわけ欺罔行為(人を騙すこと)がどのように判断されるのかについて論文を書いたんですが(佐竹宏章「詐欺罪における欺罔行為と財産騙取」佐伯仁志ほか編『刑事法の理論と実務3』(成文堂、2021年)207頁以下)、字数制限とかもあって私が本来書きたかった内容はまだ書けてはないので、それを書こうとは思っています。怠惰な性格なので放置してしまっていますが…。その論文ですでに、自説の骨子自体はすでに書いてはいるので、もう少しそれを発展させた論文を書くつもりでいます。

 その派生として、他人名義のクレジットカードとか他人名義のキャッシュカードを使った場合に詐欺罪や窃盗罪が成立するかについても検討を行っています。規約上は、他人名義のキャッシュカードもクレジットカードも、名義人が第三者に譲渡や貸与をしてはいけないことになっています。刑法では、他人名義のクレジットカードに関しては、同意を得て借り受けて、それを使った場合について詐欺罪が成立するんじゃないかっていう議論が以前からされていました。最高裁判例(最決平成16・2・9刑集48巻2号89頁)でも、他人名義のクレジットカードを第三者から入手した被告人が、ガソリンスタンドでそれを使ってガソリンを入れた事案で、詐欺罪を認めたものがあります。その際、被告人は、名義人から、あるいは名義人から同意を得た第三者から、同意を得てクレジットカードを使ったんだと主張したんですが、最高裁は有罪判決で確定しました。学説でも、他人名義のクレジットカードを使うと詐欺になるっていうふうな学説も主張されていますが、それが常にそうかというと異論があります。たとえば、親名義のクレジットカードを子供などが使った場合など、家族間でカードを借りて利用する場合に詐欺罪が成立してよいかという疑問です。――皆さんもしかしたら経験があるかもしれませんが、幼少期の頃とかクレジットカードを持っていない時に、インターネットショッピングでしか買えないものを注文したいといった場合に、親がクレジットカードの番号を教えてくれて――…親が入力していれば別に問題ないんですけど、もしかしたら子供がその情報を入力していたら、これが詐欺や電子計算機使用詐欺になる可能性が生じてしまうんです。学説では家族とか緊密な関係だったら詐欺にしなくていいんじゃないかっていう風な立場が多数説なんですけど、ただその理由付けがあまり明確ではないので、その部分について検討しているところです。この関連で、最近長崎で重要な裁判例(長崎地判令和6・9・4裁判所ウェブサイト)が出ていてそれについて評釈を書いているところです。長崎地方裁判所は、被告人が、同意を得て名義人からクレジットカードを借り受けて、ATMでキャッシングを行ったことについては、窃盗罪が成立するとしたのに対し、同じ被告人が同じ人物から同意を得てキャッシュカードを借りてATMでお金を下ろした行為については、窃盗にならないという判決を出しました。現在、この判決を契機に、先ほどの最高裁判例や学説との関係などを分析しているところです。

 その他に、刑法ではないんですけど、刑事訴追の基準自体がどうやって決まるのかっていうところにも関心を持っています。なんで関心持ったかっていうと、詐欺にも関連しているんですけど、大体さっきの事案とかもそうなんですけど、他人名義のクレジットカードとかキャッシュカードの使用の事案とかって、普通は発覚しないで起訴されないんで終わっていることが多いんですよね。家族名義のクレジットカードを使っていた場合とかは潜在的には多く存在していると思います。でも、全員が全員起訴されているかというと起訴されていないんですね。おそらく他の事件とかで逮捕されて余罪として発覚したというケースがほとんどではないかと思います。このように詐欺罪とか財産犯の領域では、起訴されるか起訴されないかが割と重要であるにもかかわらず、その基準があまり明確ではなかったりするんですね。今までは起訴されてこなかったら犯罪にならないと考えられていた事案が、検察の方針などが変わってたまたまそれが起訴されてから議論が活発になるみたいなことがしばしば生じているんです。私は、これまで刑法学の観点から犯罪にラインを明確にしようという研究を行ってきたのですが、それだけでは十分ではなく、起訴の基準も明らかにしていくことも必要ではないかと思い始めているところです。日本では、条文上は、起訴便宜主義(刑事訴訟法248条参照)っていう形で、検察の裁量で起訴するかしないか決めていい、ってことになっているんですが、これに限界はないのか、本当に検察の自由裁量で決めていいのかってところに関心を持っています。現在は、起訴裁量を一定程度制限していくべきではないのかっていうアプローチの下、刑罰論との関係で、それを制限する試みがあり得るかっていうところを検討しています。それに派生して最近は、検察官の役割とか、客観義務という発想から起訴裁量を統制することはできるのではないかということに関心を持っています。ドイツでは日本とは異なり、起訴法定主義がとられていて(ドイツ刑事訴訟法152条参照)、一定の嫌疑があり、かつ訴訟条件を満たした場合には、起訴することが求められています。そのうえで、軽微犯罪についての手続き打ち切り(ドイツ刑事訴訟法153条や153条a参照)や価値僅少物の窃盗罪・横領罪の親告罪化(ドイツ刑法248条参照)などで若干緩和する仕組みを置いています。私は日本の起訴便宜主義を統制していく上では、日本とは異なる起訴法定主義的な発想が役立つのではないかと考えて、研究を始めたところです。

――最後に、これから大学生活を送る学生に対してメッセージをお願いします。 

 最初に述べましたけど、私は1年の頃は――もちろん出席をとる科目は出ていましたけど――あまり授業に出ない不真面目な学生も経験しているし、2年生以降は真面目に授業を出てしっかりと成績をとる学生も経験しているので、自分が大学生活を楽しめるのであったら、どういうスタイルでもいいとは思っています。ただ、大学に目的もなく単位だけを取りに来るのはもったいないことです。何か目標をもって、たとえば「将来どういう職に就きたいか」といった明確な目標を持ち、優先順位をつけて、課外活動やバイト、趣味などに打ち込んでいるのであれば、多少大学の授業がおろそかになる時期があってもかまわないとさえ思っています。もちろん、4年間で卒業するためには、正課をおろそかにしてはだめですし、私の授業にはさぼらずに出席してほしいですが(笑)。

 大学生活で大切なのは、何かしらの目的をもって過ごすことだと思っています。皆さんが思っている以上に、4年間は本当に短い時間です。「将来何になりたいか」を常に考え、それに向けて「今、自分に何ができるか」を自問自答してください。しかも、1度きりで終わるのではなくて、半年ごとといった定期的なサイクルで立ち止まり、考え直して、計画をちょっとずつ修正していくことが重要だと思います。その積み重ねが、数年後の皆さんの未来に活きてくるはずです。 

 

2026年6月24日実施
聞き手:藤川直樹(法学部教授)ほか法学部1年生有志

 
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